第12章 地質構造と地質調査(1)
1.地質構造
a.整合と不整合
地層が堆積するときに時間の大きな断続があることがある。このために地層の堆積が不連続になる。これを不整合という。堆積がほぼ連続して続けて行われてできた地層を整合という。
下のアメリカ・グランドキャニオンに見られる地層では、先カンブリア時代の約20億年前の複雑に褶曲(しゅうきょく)した結晶片岩と、12億年〜8億年前の地層A(砂岩の泥岩の互層)が不整合で接している(一部は断層で接している)。また、地層Aと約5億年前のカンブリア紀の地層Bも不整合に接している。これらの不整合面の上下の地層はお互いに斜めの関係である。こうした不整合を斜交不整合という。
カンブリア紀の地層Bとデボン紀の地層Bの間にも、オルトビス紀からシルル紀という約1億年間の地層が欠落している大規模な不整合がある。この不整合面の上下の地層は平行なので、こうした不整合を平行不整合という。
以後、デボン紀の地層Cから二畳紀の地層Eまでは整合である。
なお、カンブリア紀などの地質時代の名称とその時代はこちらを参照。
グランドキャニオンに見られる不整合。センター試験地学IB(1999年追試験)
不整合は、下の図のようにできる。まず、海底で堆積した堆積物から地層ができる。これが何らかの理由で隆起(あるいは海水面の低下)して陸になると表面が侵食される。下の図の場合は地層が傾きながら隆起した図であるが、傾かないでそのまま隆起することもある。その後再び海水面下に没すると、その上に新しい地層が堆積する。こうして不整合ができる。つまり不整合面があるということは、その土地がかつても陸になったことを示す。確かに不整合は地層の堆積の不連続で、その間の地層は欠如しているわけではあるが、逆に考えると陸化の歴史を記録しているともいえる。
なお、不整合面の上はれき岩であることが多い。このれき岩を基底れき岩という。これは一般に不整合を作るような地殻変動は結構激しい運動で、海に没するときを考えると(まだ海水面下ぎりぎりとのき)は陸に近いわけで、そのときにれき(礫)が供給されるのである。
地層(岩盤)の食い違いを断層という。断層には下のようにおもに横方向(水平方向)にずれる横ずれ断層と、縦方向(垂直方向)にずれる縦ずれ断層があり、それぞれさらに左ずれ断層、右ずれ断層、逆断層、正断層にわけられる。断層を作る力と、断層の向きについては「第1章 地震 4.地震とは何か」のc.力と断層を参照。縦ずれ断層のうち逆断層は圧縮力、正断層は張力が働くところにできる。
断続的にがたがたとずれ動くような断層であれば、がたっと動くときに地震を起こす。断続的といっても数百年から数万年ごとの長い時間感覚をおいてである。いまなお活動して地震を起こす可能性のある断層が活断層である。地震を起こさずにだらだらとずれていくタイプの断層もある。活断層が段丘を横切ると、段丘もそのためにずれていく。
一方、地層が折れ曲がっているものが褶曲である。褶曲が盛り上がっている凸の部分を背斜といい、凹の部分を向斜という。
c.貫入
既にできている地層などを別の岩石が貫いていることがある。これを貫入という。貫入している岩石は火成岩が多い。つまりマグマの状態で貫入し、それが冷えて火成岩になったのである。小規模な貫入が浅いところで起きた場合はマグマが急冷して火山岩となり、大規模な貫入が地下深くで起きた場合はゆっくり冷えて深成岩になる。貫入した火成岩に接した岩石は変成作用(接触変成作用)を受けて別の岩石に変わっていることが多い。
地層を貫入する火成岩。そのまわりはマグマの熱によって変成作用を受けている。
d.地質構造と地史
地層は下から上に堆積する。だから下の地層ほど古く、上の地層ほど新しい。これを地層塁重(るいじゅう)の法則という。実際には、地層は褶曲や断層のために逆転していることもあるので、堆積時(地層ができたとき)の上下を判定しなくてはならないこともある。こうしたときに役に立つのが、単層(1枚の地層)の構造や、層理面(地層面)の構造である。
また、不整合があれば、不整合面の上の地層の方が下の地層よりも新しい。断層があれば、断層に切られている地層よりも断層の方が新しい。貫入があれば、貫入している岩石の方が貫入されている岩石(地層)よりも新しい。ある場所の地質断面図が描かれていれば、こうしたことからその場所の地史を組み立てることができる。
例えば下のような地質構造している場所では、(1) A、Bの地層が堆積 (2) 不整合ができる(一度陸になる) (3) 再び海面下に没しC、Dの地層が堆積 (4) 地層が褶曲する (5) 花こう岩(のもととなったマグマ)の貫入 (6) 断層ができる (7) 玄武岩の貫入 という順であることがわかる。ただし片麻岩の形成がいつなのかはこの図からだけではわからない。D層や花こう岩の上に乗っているが、大規模な断層(運動)によって別な場所から移動してきて上に乗った可能性が大きい。
センター試験地学IB(2000年度本試験)
このように、ある場所での地史はその場所の地質断面図が描くことができればある程度はわかる。では地質断面図をどう書くかについてはこちらを参照。さらには上の図のような片麻岩があった場合は、直接その形成年代がわかるとよい。変成岩の形成年代の求め方はこちらを参照。また、化石を使っても地層の新旧を決めることができる。さらに、地質断面図ではその場所の地層の新旧しかわからない。日本の中での北海道と九州の地層を比べて新旧を決定したりしなくてはならない。もちろん、日本だけではなく世界中の地層の新旧を決定していかなければ地球の歴史は編纂できない。こうしたことについてはこちらを参照。
断層のタイプの見分け方:左ずれ断層は、断層をまたいで見ると、どちら側から見ても断層の左側が手前に来るように見える。すなわち左回りに動いている。右ずれ断層は逆である。また正断層は断層面の上に乗っている方がずれ落ちている。張力(引っ張りの力)でできた断層なので、そこに隙間ができている。逆断層は断層の上に乗っている方がずり上がっている。圧縮力でできた断層なので、そこが縮みの場所となってだぶっている。
断層と河岸段丘:何段にもなっている河岸段丘を活断層が横切っていると、古い段丘面、段丘崖ほどずれが大きく、新しい段丘面、段丘崖ほどずれが小さいという構造ができる。
地層塁重の法則:地層は上に堆積したものほど新しいなどというまったく当たり前のことが、なぜ仰々しく「法則」などと呼ばれているのだろう。それは近代科学が発展したヨーロッパにおいて、かつては地球には歴史はないと思われていたからである。つまり、地球は聖書にかかれているとおり、神様があっというまに作った(6日間で)というわけだ。そして地球の歴史も、17世紀から18世紀ころまではせいぜい4千年から5千年程度と思われていた。あの、ニュートンでさえ、聖書の記述を丹念に読み、地球と人類の歴史を編纂しようとした。
こうした当時の常識に対抗したのが、ニコラス・ステノ(デンマーク、1638年〜1687年、デンマーク語の読みではステンセン)である。ステノは化石を研究し、化石や地層は海に運ばれた堆積物が聖書が記述したよりもはるかに長い時間をかけてできると考え、地層塁重の法則を発表した(1669年)。ステノはまた鉱物における面角一定の法則も発見している。当時化石は「ノアの大洪水」で犠牲になった生物の遺体で、これこそがまさにノアの大洪水の証拠、つまり聖書の正しさを証明しているものだと思われていた。もちろん、彼自身も中世の人で、全体としては聖書の枠内にとどまり、実際中年以後はカトリックの司祭となった。
この後、ハットン(イギリス、1726年〜1797年)は、堆積岩と火成岩をきちんと区別し、昔も過去も同じ自然現象が起きていて(斉一説、定常的地球観)、ゆっくりゆっくりした変化が何百万年もの長い間に積み重なって今日の自然景観を作り出したと考えた。彼は不整合も認識している。このころキュビエ(フランス、1769年〜1832年)は、地球の歴史は4000年程度にしかすぎず、その間に何回も大洪水などに見舞われたという天変地異説(激変説)を唱えた。
ライエル(イギリス、1797年〜1875年)は、それまでの地質学をまとめて「地質学原理全3巻」(1830年〜1832年)を書き、斉一説を支持、広めることに役立った。この「地質学原理」に強く影響されたのが、あのチャールズ・ダーウィン(イギリス、1809年〜1882年)である。「地質学原理」は進化論を考えるに当たって大きなヒントとなった。
同じころウィリアム・スミス(イギリス、1769年〜1839年)は、同じ生物種の化石を含む地層は同じ時代のものであるということを明らかにし(地層同定の法則ということもある)、層序学(層位学)の基礎を築いた。
このように、地球の歴史は聖書が記述しているよりはるかに長いことが明らかになってきたのである。こうした地質学に異議を唱えたのが偉大な物理学者ケルビン卿である。彼は火の玉から出発したはずの地球の年齢はせいぜい1億年程度と「科学的に計算」したのだ。こうした「科学的な計算」よりも、地質学者の荒っぽい見積もり(侵食量などからの推定)の方が精度がよかったということになる。こうしたことが地質学者の物理学者に対する不信を生み、それが長い間続いた?
ただ天変地異説が完全に否定されたのかというとそうでもない。6500万年前に恐竜などの生物の大絶滅をなどを引き起こしたのは、巨大いん石の衝突(まさに天変地異)のせいであるという説が1982年に出され、現在では多くの学者の支持を集めている。こうして、学説は螺旋的(らせんてき、スパイラル)に回帰する?