ダイオキシン 神話の終焉

ダイオキシン 神話の終焉 シリーズ地球と人間の環境を考える02
渡辺正+林俊郎 日本評論社  ISBN4-535-04822-3  1,600円

目次
序章 この国の形・ダイオキシン編
1章 「サリンの2倍」は筋ちがい
2章 どこでどれだけ生まれるか
3章 人体のダイオキシン汚染?
4章 亡国の「ダイオキシン法」
5章 ダイオキシン法の誕生秘話
6章 つくられたダイオキシン禍
あとがき
付録・索引

 このシリーズ(地球と人間の環境を考える)は、これまでの「環境問題論」に異議を唱えるものらしい。この本も、いわゆる「ダイオキシン汚染問題」に異議を唱えている。

 前半(1章〜3章)は理科的な側面から、ダイオキシンの危険性を再検討している。毒性もいわれるほどでないこと、破傷風菌の毒素などもっと毒性の強いものがある。イタリアのセベソの農薬工場の事故(1976年)やカネミ油症の被害も、過大評価が伝わっていること。日常的には、アルコール、カフェイン、ニコチン、さらには自動車事故など、もっと被害の大きい(死者の出ている)ものがあること。こうしたことを冷静に見ないといけないこと。そもそも、ダイオキシンそのものには発ガン性はなく、もっと発ガン性の強いベンズ〔α〕ピレン(自動車の排気ガス中に含まれる)を厳しく規制すべきであること。

 また、ダイオキシンの発生源も、世に言われる「焼却炉」がメインなのではなく、1960年代から70年代に使われていた水田除草剤(PCP)中のものがまだ残留していること(横国大益永・中西グループ)。それなのに超高価なゴミ焼却炉の設置を自治体の義務づけていることに対する疑問を表明している。

 人体の汚染もいわれるほどではなく、母乳の危険性を指摘した人や、環境ホルモンと断定した人たちを厳しく批判している。

 後半は、ダイオキシン法への疑問と、「ダイオキシン神話」に対する反論である。成立の過程にも疑問があり、上に書いたように焼却炉が主犯人ではないのに、自治体は高価な超ハイテク焼却炉を買わなくてはならない(ツケは住民に回る)。新生児の死亡率を上げているとか、アトピーの原因とか「環境ホルモン」とはいえないのに、そうして神話がマスコミを通じて浸透してしまったことも憂いている。

 全体に、ダイオキシン悪魔説に対する反論を試みていて、だいたい成功していると思われるが、「ダイオキシン悪魔説」に対する反感のあまり、ダイオキシンは危険ではないと受け取られる危険性も持っている。

※ p.112「ひょっとすると遺伝子レベルで『耐性』を獲得し、〜略〜、かつてダイオキシンで倒れた人がいない(大事故をのぞいて)のも、1960年〜70年代に国土が高濃度汚染されても国民の健康状態はよくなり、平均寿命が快調に伸びているのはそのためではないか?」は、勇み足だと思う。

 まだ若い「環境科学」は、何か新しいことがわかるたびに、話が一新する可能性があり、「これで決定」というものは現段階では難しいという姿勢は共感できる。

※ p.60 「横書きの文章では、数値と単位の間を半角1文字あけるのが自然科学(理科・数学)の基本作法なのに」ってあるが、そんな作法あったっけ?

シリーズ 地球と人間を考える
01 地球温暖化
02 ダイオキシン
03 酸性雨
04 環境ホルモン
05 エネルギー
06 リサイクル

2003年4月記

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