1.惑星(2) 惑星各論−7−
g.海王星
天王星が発見されてしばらく観測を続けると、その軌道がどうもニュートン力学から予想されるものとはずれていくことがわかった。このずれは、天王星の軌道の外側にまだ未知の惑星があって、その引力によって天王星の軌道が乱されるためだと考えて、計算したのがイギリスのアダムスとフランスのルベリエであった。
実際に発見したのはベルリン天文台のガレであった。彼はルベリエの捜索依頼を受け入れ、実際に捜索を初めてすぐに見つけたという。
海王星は、天王星とは双子の惑星といっていいほど似ている。海王星の半径(24764km)は天王星の半径(25559km)より少し小さいだけであり、海王星の質量(地球の17.15倍)は天王星の質量(地球の質量の14.54倍)より少し大きい。だから密度は海王星(1.64×103kg・m-3)の方が天王星(1.27×103kg・m-3)より少し大きい。
公転軌道はほぼ円に近い(軌道長半径30.1104AU、離心率0.0090)である。その外側のめい王星の軌道(軌道長半径39.5404AU)の離心率が大きい(0.2490)ために、ときどきめい王星が海王星の軌道の内側に入り込むために、めい王星よりも外側の惑星になることがある。最近では1979年〜1999年がそうであった。ただし、海王星の公転周期(164.774年)とめい王星の公転周期(247.796年)の間には、ほぼ2:3という尽数関係が成り立つため、両惑星が最接近しても18AUという距離なので、衝突の可能性はまったくない。
海王星の組成、内部構造は天王星とほぼ同じだと考えられている。すなわち、中心には岩石質の核があり、それをメタン、アンモニアを含む氷のマントルが覆っている。大気は水素が主成分で、その他ヘリウムとメタンが含まれている。このメタンが太陽光線から赤色成分を吸収するので青く見える。海王星は地球をのぞけば太陽系で一番青い天体かもしれない。
海王星の表面には青黒い大暗斑と呼ばれるものや、白い雲が見えることもある。また、他の木星型惑星と同じく環(輪)を持っている。表面温度は、より太陽に近い天王星とほぼ同じの−220℃である。これは海王星の内部から熱がかなり出ていることを想像させる。
海王星は地球からは非常に遠いので観測が難しい。また直接探査を行った探査機は、1989年のボイジャー2号のみである。
ボイジャー2号が撮影した海王星 | 黒斑と白い雲 |
http://nssdc.gsfc.nasa.gov/photo_gallery/photogallery-neptune.html
g−2.海王星の衛星
海王星には、従来から知られていたトリトン、ネレイドの他、ボイジャー2号が発見した小さな衛星が6個(うち4つは環の内側)、地球からの観測でさらに3個(海王星の公転の向きと逆向きに海王星のまわりを回る逆行衛星)が見つかっている。
その中のトリトンは半径が1353kmあり、月(半径1738km)、木星の衛星エウロパ(半径1565km)よりも少し小さいが、太陽系の衛星の中では大きい方である。そして、トリトンはこうした大きな衛星の中で唯一、惑星の公転の向きと逆向きに、約5.9日の周期で海王星のまわりを回っている逆行衛星である。トリトンは公転と同じ周期(5.9日)で自転していて、月がいつも地球に同じ面を向けているように、いつも同じ面を海王星に向けている。また、他の衛星(海王星以外も含めて)はだいたい母惑星の赤道面上近くを回っているのに、トリトンは海王星の赤道面と約23°(公転の向きが逆行ということを考慮すると157°)傾いた軌道面を持っている。海王星の自転軸が公転面に垂直な向きに対して28.3°(地球は23.4°)傾いているので、これも考慮すると、トリトンは天王星と似ていて、長時間両極に太陽の光がよく当たることになる。
海王星の公転とトリトンの公転を、地球の北極のはるかに上から見下ろしたとしたときの図。
月とトリトンの公転と自転の様子を、地球の北極のはるかに上から見下ろした図。月もトリトンも、地球や海王星に対していつも同じ面を向けているが、公転が逆向きなので、自転も逆向きになる。月は月1→月2→月3→月4→月1の順に動き、トリトンはトリトン1→トリトン2→トリトン3→トリトン4→トリトン1の順に動く。 |
そしてこのトリトンは氷の火山を持っていて、ボイジャー2号によって噴煙も撮影されている。表面を覆っている氷(地球の地殻)の下に一部融けた水(地球でいうとマントル中のマグマ)があり、それがマグマとして火山活動を起こしているのだろう。これは、上に書いたように両極がそのときどきに太陽の光をたくさん受けるために、水蒸気ができて“爆発”するのかもしれない。
ネレイドは公転周期が359.9日(ほぼ1年)もある。こうしたことから、トリトンやネレイド、あるいは小さな逆行衛星は海王星の引力に捉えられた天体だと考えられている。
トリトン。上のなめらかな地形と凸凹の地形がある。凸凹の地形の中の黒い筋は噴煙である。 | ボイジャー2号が発見した衛星の一つプロテウス。表面には無数のクレータがある。 |
http://nssdc.gsfc.nasa.gov/photo_gallery/photogallery-neptune.html
Neptune:ローマ神話では海の神様(ギリシャ神話ではポセイドン)。三つ叉の矛を持っている。
アダムスとルベリエ:アダムス(イギリス、?〜?)はまだケンブリッジ大学の学生であった1841年から計算を始め、1845年9月半ばに一応計算を終わった。そこで、ケンブリッジ天文台のチャリスが捜索を始めたが難航、グリニッジ天文台(当時の台長はエアリー1801年〜1892年、現在につながるアイソスタシー説を唱えた)には無視されてしまった。
一方のルベリエ(フランス、1811年〜1877年、1854年からパリ天文台台長)は、アダムスより遅い1845年夏からこの問題に取り組み始め、1846年6月には計算結果を得た。早速パリ天文台に捜索を依頼したが、受け入れてもらえなかった。そこで彼は1846年9月18日にベルリン天文台助手のガレに捜索依頼の手紙を書いた。手紙は9月23日に着いた。ガレは天文台の台長エンケ(ドイツ、1791年〜1865年、ガウスの弟子、エンケ彗星の軌道の計算など)を説得して早速捜索を開始した。そして30分もたたないうちに海王星を発見した。計算で予測された位置と角度で1°もずれていなかったという。また、新しい星図が手元にあったのが幸いしたのかもしれない。実際「見た」だけならチャリスも見ていたし、ガリレオ(イタリア、1564年〜1642年)も1612年に見ていたという。
当時は今日と違ってインターネットはもちろん、情報がなかなか伝わらない時代だった。だから、アダムスとルベリエはお互いの仕事は知らずに独立に計算を行っていた。当時はまたコンピュータや電卓もない時代である。計算に要する努力は想像を絶するものがあっただろう。海王星発見後、まわりは誰が海王星の発見者かで議論があったという。しかし、この二人はのちには仲のよい友人になったという。
いずれにしてもこれはニュートン力学の輝かしい勝利だったといえる。
逆行衛星:惑星の公転の向きは皆同じであり、多くの衛星もそれと同じ向きで惑星のまわりを回っている。ところが中には、惑星の公転の向きと逆向きに惑星のまわりを回るものもあり、それを逆行衛星という。大きい逆行衛星はトリトンだけであるが、小さい衛星ならば木星に4つ、土星にも1つある。
日本惑星協会:http://www.planetary.or.jp/
宇宙航空研究開発機構のオンライン・スペースノート:http://spaceinfo.jaxa.jp/note/note_j.html
The Nine Planets(英語):http://www.nineplanets.org/(日本語に訳したサイトもあるが更新が遅れ気味)。本家では「nine
Planet」→「nine
NSSDC Photo Gallery(英語):http://nssdc.gsfc.nasa.gov/photo_gallery/