この日は火山島クルーズです。サントリニ火山の中央火口丘が海から頭を出した、ネア・カメニ島とピアラ・カメニ島を巡ります。
サントリニ火山は、紀元前1600年頃に超巨大噴火(カルデラ噴火)を起こしました。そのエネルギーは1020 J(ジュール)規模といわれています。これは2011.3.11東北地方太平洋沖地震の100倍、1923年関東大地震の3000倍、1883年クラカトウ噴火の100倍、広島原爆の数百万倍ものエネルギーに相当します。
たぶんこの噴火の火山灰・津波でクレタ島のミノア文明が崩壊しました。また、現在のサントリニで一番大きな島ティラ島からも同時代の遺跡が見つかっています。さらに、この噴火の津波は地中海沿岸を襲いました。聖書のモーゼの「海が割れた」はこの津波の記憶かもしれません。聖書によく出てくるペリシテ人は、クレタ島難民の可能性が高いです。また、エジプトのアメン・ホテプ四世(ツタンカーメンの父)が、それまでの多神教から太陽神一神教に宗教改革したのは、この噴火による火山灰で太陽が霞んでしまったためともいわれています。
さらに、あのプラトンの「アトランティス伝説」(師であるソクラテスが、賢人ソロンがエジプトの神官から聞いたとする話をプラトンに伝えた)の元となった可能性もあります。
それとは別に、宮沢賢治の「グスコーブドリの伝記」には、サンムトリ火山が出てきて、あきらかにサントリニ島のことです。ブドリたち火山局の技師たちの働きで、「安全な噴火」をした火山です。
ということで、サントリニ島はなかなか興味深い島だったのでした。
火山島巡りのクルーズ船は旧港から出ます。昔は旧港へ降りるに(旧港からティラの街に登るのも)ロバ道をロバに乗って上り下りするか、自分で歩くしかありませんでした、いまはロープウェイで早く、しかも安全に降りることができます。ロープウェイのゴンドラ一つの定員は6名、それが6台つながっています。
クルーズ船は木造の小さな船でした。まず訪れたのは、大きな方のネア・カメニ島です。島に上陸するのに、クルーズ料金とは別に10ユーロが必要です。普通は、船のスタッフが頂上まで連れて行ってくれるはずですが、この日は猛暑で、案内は東屋があるところまで、それから先は自己責任ということになりました。それはいいのですが、そこでの説明がやたらと長く(15分以上)、限られた滞在時間内に頂上まで行けるか心配なほどでした。
やっと説明が終わったので、頂上(114 m)へ向かいます。ピークは二つあり、一つはティラ島側がよく見え、もう一つのピークからはティラ島に次いで大きなティラ・シア島がよく見えます。つまり二つにピーク立つと、サントリニのカルデラの中心から、カルデラ壁を360 °見られることになります。船には制限時間内、余裕を持って戻ることができました。
次は、ネア・カメニ島の後ろ側に回り込み、ピアラ・カメニの温泉です。海岸で温泉が湧き出ているのですが、船が接岸できません。そこで、70 mほど沖合に止まった船から飛び降りて、泳いで行かなくてはなりません。(船尾から浮き具付きで海に入れた、こちらの方が楽。)長らく本格的に泳いでいなかったので、この日まで3回ほどホテルのプールで泳いでみました。カメラを手に持って泳げたので、飛び込んで泳ぎ出しました。
島に近づくと海水は濁り、海中の視界はなくなります。ただ、水温はほとんど上がってきません。海底は足が着く深さになったりまた背が立たないほど深くなったり、海底は泥・砂・そしてごつごつした岩です。海中が見えないでなかなか大変。少し上陸して、砂混じりの泥で泥パック。制限時間もあるので、少し遊んでから船に戻りました。戻るときは梯子を下ろしてくれています。とりえあずエーゲ海で泳いだということにします。
船に戻り、船は旧港に戻ります。ティラの街で、ハンバーガーみたいなもの(ギリシャ風ハンバーグ)とビールを買い込み、木陰のベンチで一休み。
ホテルに戻って、近くのスーパーマーケットに買い出しに出かけ、ビールやレッチーナ・ワインなどを買い込みました。この日は持参した食料で夕食のつもりでしたが、昼に買ったギリシャ風ハンバーグが残っていたのでそれを食べました。
プールの端に出ると沈む夕日が見えます。でも、この日も雲に遮られていました。
エーゲ海の島なので、きれいな空気を想像していましたが、意外と空気が霞んでいました。一つはクルーズ船の排気が漂っていること、もう一つはアフリカから黄砂のように細かい砂が飛んできているためのようです。
※ この日の午後の写真が失われていました。
2024年6月記