クロアチア・スロベニア

プリトヴィツェ〜スプリット〜ドゥウロヴニク

 この日はプリトヴィッツェからダルマチア地方のドブロヴニクへの移動日です。8時にホテルを出発。緯度と高度が少し高いプリトヴィッツェから南下し海外沿いの町に向かうことになります。移動途中、見事な石灰岩地形が見られます。しばらく行くと前方右側にアドリア海が見える場所がありました。でもすぐに内陸に入ります。もう一度アドリアかが見えればスプリットは近い。出前の橋で小休止。

 スプリットはローマ帝国皇帝ディオクレティアヌス(244年〜311年、在位284年〜305年)が、皇帝引退後を過ごすために造ったお城です。ディオクレティアヌス時代、ローマ帝国の領土は最大となりました。つまり、衰退が始まるわけです。彼は広大な帝国を二分割、さらには四分割して、つまり皇帝を複数建ててその筆頭に君臨します。でも、彼の死後ローマ帝国、とくに西方の帝国は四分五裂状態になっていきます。その死後、城内に勝手に人が住みつき、今日のようになっていきます。いまでの、城内にはお店以外のもふつうの人たち住んでいる住居も残っているようです。

 スプリットではまず昼食(パエリア)。そして金の門から城内に入り観光です。分厚い城壁内にたくさんのお店がありました。門を通り抜けると中庭(ペリスティル)です。大聖堂の脇にある高さ60mの鐘楼にも登っていました。まわりに高い建物がないので、抜群の眺望です。ただ旧市街が高い城壁に囲まれているので、壁の外側近くにある青空市場などはよく見えません。鐘楼を降りて銀の門外の青空市場(昼過ぎだったので魚介類のお店は閉まっていました)を見て回ったり、また銀の門から入って中庭に行って見たりしました。ちょうど中庭では結婚式をやっていました。このあたりまで来ると、日差しが強く、歩いていると暑いほどになります。

 スプリットを観光した後さらに南下します。途中、ネウムという町で休憩。ここにはトイレやスーパーマーケットがあります。基本内陸国であるボスニア・ヘルツェゴビナがほんの少しだけ持っている海岸線にある町がこのネウムです。地図はこちら(別窓で開きます)。ですから、この短い区間でクロアチアの出入りを繰り返すことになります。

 その後南下は続き、ドブロヴニクには夕刻18時半前に到着しました。まずは城壁外プロチェ門や旧港近くにレストランで夕食です。港町なので魚料理です。夕食中、だんだん夜が更けてきました。食後、プロチェ門から城内に入り、夜のドブロヴニクを旧港まで歩きました。

 ホテルはドブロヴニク旧市街から車で15分程度。丘に遮られてドブロヴニクは見えません。ホテル5階の室外の非常階段に出て、月や星の写真を少し撮りました。 

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