チンギス・カン(“蒼き狼”の実像) 白石典之 中公新書
ISBN4-12-101828-1 760円 2006年1月
目次
はしがき
第1章 蒼き狼の時代
第2章 大モンゴル国の勃興
第3章 草原に生きる
第4章 世界征服者の死
第5章 よみがえるチンギス
あとがき
参考文献
チンギス・カン関連年表
まずはしがきで、本の表題を「チンギス・ハーン」ではなく、「チンギス・カン」としたかの説明がある。それによると「カン」は王で、「ハーン」は唯一無二の君主(皇帝)であり、チンギス・カンは生前カンとしか呼ばれておらず、ハーンとなるのは4代目のモンケ以降だそうだ。
筆者は考古学が専門。だから現地での発掘、そこから明らかになった遺跡・遺物を第一の根拠にするので説得力がある。例えば、チンギスの武力のもととなったのは鉄の獲得・確保で、その鉄がどこから来たのかも明らかにする。
チンギスは子供のころから「目に日あり、顔の光あり」(元朝秘史)だったという。この本でも寝食を共にし、同じ戦塵にまみえた僚友たちについて、「その一人一人の能力を十二分に引き出し、活用したチンギスの眼力もさることながら、彼らの心を捉えて放さなかったチンギスの個人の魅力も見逃すことができない。」とあるが、その通りだったと思う。
ごく狭いまわりの人たちからのみカリスマ的信頼を集めることができたかもしれないが、結局は戦術のみで戦略がなかった義経と、世界戦略を持っていたチンギス・カンではあまりにもスケールが違う。「義経伝説」は無理すぎる。
チンギス・カンは、一時ソ連時代のモンゴルでは否定されいたようだが、逆に現在では圧倒的人気のある「民族の誇り」で、外国人の発掘調査も難しい時代になっているそうだ。もっとも、日本でも外国人による遺跡発掘が行われれれば、反発が起きるだろう。考古学は変にナショナリズムを煽ることがある。ゴッドハンド藤村氏によるホモ・エレクトス時代の石器の発掘もそうしたことが背景あるだろう。
飲酒に対する彼の態度、「酔いつぶれた人はまともな会話ができず、…。君主が酒におぼれれば政道を誤り、…。いかなる人も酒におぼれると理性を失う。(もしも飲酒をやめられなければ、できるだけその回数を減らし)、まったく飲まないのがもっとも良いが、酒を飲まない人がどこにいようか。」だそうだ。う〜ん。
2006年2月記