旧ソ連は1957年10月04日に、人類初の人工衛星スプートニク1号の打ち上げに成功し、その後も次々に人工衛星を打ち上げた。そして、人工衛星打ち上げ成功のわずか2年後に、月ロケットの打ち上げにも成功した。この間アメリカは、何回も失敗を繰り返し、ようやく1960年代の半ばから月に到達するようになった。
アポロ以前のおもな月の探査機を下の表にまとめた。
年月日 | 国 | 名称 | 成果 |
1959年09月12日 | 旧ソ連 | ルナ2号 | 09月14日 晴れの海に命中。ソ連のシンボルマークを刻んだペナントを積んでいた。 |
1959年10月04日 | 旧ソ連 | ルナ3号 | 10月07日 月の裏側の写真の撮影に成功。 |
1964年07月28日 | アメリカ | レインジャー7号 | 07月31日 雲の海に衝突。衝突するまでに写真を4000枚以上撮影。 |
1966年01月31日 | 旧ソ連 | ルナ9号 | 02月03日 嵐の海に軟着陸してパノラマ写真を撮る。 |
1966年03月31日 | 旧ソ連 | ルナ10号 | 04月03日 月のまわりを回る衛星(地球の孫衛星)になる。 |
1966年05月30日 | アメリカ | サーベイヤー1号 | 06月02日 嵐の海に軟着陸、1万枚以上の写真撮影。 |
1966年08月10日 | アメリカ | ルナ・オービター1号 | 08月18日 月のまわりを回る衛星(地球の孫衛星)になる。 |
※ アメリカは探査機打ち上げの時点で名前を与えるようだが(たとえばレインジャー・シリーズは1号〜6号は失敗)、旧ソ連は打ち上げが成功した時点で名前を与えるようである。ルナ1号は打ち上げには成功しているが、月には命中せずに人工惑星になった。
※ 旧ソ連はいつの時点からか、有人の月探査を断念したようである。そのかわり、1970年09月12日に打ち上げた無人のルナ16号で、月の砂を採集して地球に持ち帰ることに成功している。こうしたサンプル・リターンはその後も1976年までにルナ16号を含めて合計4回行われている。また、1970年11月10日に打ち上げたルナ17号には、無人探査車ルノホートが積まれており、月面の探査を行っている。ルノホートは1973年01月08日に打ち上げられたルナ21号にも積まれていた。しかし、旧ソ連は1976年08月09日のルナ24号(サンプルリターンに成功)以後、月に向けて探査機を打ち上げていないようである。
ルナ2号(旧ソ連) http://nssdc.gsfc.nasa.gov/ database/MasterCatalog?sc=1959-014A |
ルナ3号(旧ソ連)が撮影した人類初の月の裏側の画像 http://nssdc.gsfc.nasa.gov/ imgcat/html/mission_page/EM_Luna_3_page1.html |
レインジャー7号(アメリカ)が月に衝突する直前に撮影した画像。上は高度1070m、下は高度519m http://nssdc.gsfc.nasa.gov/ imgcat/html/mission_page/EM_Ranger_7_page1.html |
サーベイヤー7号が撮影した月のパノラマ写真 http://nssdc.gsfc.nasa.gov/ planetary/lunar/surveyor.html |
月のまわりを回る衛星になったルナ・オービター(アメリカ) http://nssdc.gsfc.nasa.gov/planetary/lunar/lunarorb.html |
月からサンプルを持ち帰ったルナ16号(旧ソ連) http://nssdc.gsfc.nasa.gov/ database/MasterCatalog?sc=1970-072A |
b.アポロ計画
1961年にアメリカ合衆国第35代の大統領になったケネディは、「1960年代中にソ連に追いつき、追い越せ」を目標に掲げ、月への有人着陸計画を推進した。ケネディ大統領自身は1963年11月22日に、テキサス州のダラスでオープンカーに乗ってパレード中に狙撃されて暗殺されたが、その目標は1969年7月20日アポロ11号の月着陸で達成された。
アポロ宇宙船は、司令船(直径3.9m、高さ3.5mの円錐形状)、機械船(直径3.5m、長さ4.5m)、着陸船(脚幅9.5m、高さ7m)の三つの部分に分かれており、総重量は46.7トンもある。これを全長100mを超える巨大なサターンV型ロケットで打ち上げるのである。
実質的なアポロ計画は1964年に始まる。しかし、1967年1月27日に地上試験中のアポロ1号が火災事故(乗員3名死亡)を起こしてしまう。その後、無人で何回か試験打ち上げを行った後、1968年10月11日打ち上げのアポロ7号(地球の周回)から有人飛行になり、1968年12月12日打ち上げの8号で月のまわりを回り、1969年03月03日打ち上げの9号でフルセット(司令船・機械船・着陸船)飛行(地球周回)、そして1969年05月18日の10号でフルセット&月周回軌道という具合に、着実に試験飛行を積み重ねた。
以下、11号〜17号までは下の表の通りである。なお、乗員3名のうち、着陸船に乗り組むのは2名、月の周回軌道上の司令船に1名が待機する。着陸船は月にその一部を残し離陸し、司令船とドッキングして司令船に全員が集まった後、着陸船を切り離す。地球には司令船だけが戻る(パラシュートで太平洋に着水)。
名称 | 打ち上げ年月日 | 概要 |
アポロ11号 | 1969年07月16日 | 20日に静かの海に着陸。21時間36分の月滞在。月の岩石22kgを持ち帰る。 |
アポロ12号 | 1969年11月14日 | 嵐の大洋に着陸。31時間32分の月滞在。月の岩石32.7kgを持ち帰る。 |
アポロ13号 | 1970年04月11日 | 酸素タンクが爆発。月を周回して爆発後88時間後に地球に生還。 |
アポロ14号 | 1971年01月31日 | 13号が目指したフラウマロ高地の着陸。33時間30分月面に滞在。月の岩石42.75kgを持ち帰る。 |
アポロ15号 | 1971年07月26日 | アペニン山脈とハドリー谷との間に着陸。月面車を用いた。66時間55分滞在。77kgの岩石を持ち帰る。 |
アポロ16号 | 1972年04月16日 | デカルト高地に着陸。約71時間滞在。月面車を用いた。約99.5kgの岩石を持ち帰る。 |
アポロ17号 | 1973年12月07日 | タウルス・リトロー地域に着陸。初めて民間人(地質学者)が搭乗。月面車を用いる。約75時間滞在。岩石115kgを持ち帰る。 |
※ 月には地震計(月震計)、地殻熱流量測定器、太陽風分析装置、レーザ光線反射鏡などを設置した。採集した月の岩石は、日本を含めて世界19カ国に配られた(旧ソ連が無人探査機で持ち帰ったサンプルはアメリカとフランスに配られている)。
※ アポロは本来は20号まで予定されていて、サターンV型ロケットは準備もされていた。しかし、アメリカはベトナム戦争介入などにより財政危機に陥ってしまったので、18号以降はキャンセルされた。ただし、残ったサターンV型ロケットは、地球のまわりを回る人工衛星として打ち上げられた。これがスカイラブである。
アポロ11号を搭載したサターンV型ロケットの打ち上げ http://nssdc.gsfc.nasa.gov/ planetary/lunar/apollo_11_30th.html |
アポロ11号の司令船コロンビア http://nssdc.gsfc.nasa.gov/ database/MasterCatalog?sc=1969-059A |
月面に降りる(アポロ11号) http://nssdc.gsfc.nasa.gov/imgcat/html/ object_page/a11_h_40_5868.html |
月面に記された人類の足跡(アポロ11号) http://nssdc.gsfc.nasa.gov/planetary/ lunar/apollo_11_30th.html |
アポロ11号の着陸船イーグル(月から離陸して司令船に戻る途中) http://nssdc.gsfc.nasa.gov/ database/MasterCatalog?sc=1969-059C |
観測機器を取り出して設置する(アポロ11号) http://nssdc.gsfc.nasa.gov/ planetary/lunar/apollo_11_30th.html |
サーベイヤー3号の部品を回収するアポロ12号の乗組員 http://nssdc.gsfc.nasa.gov/ database/MasterCatalog?sc=1967-035A |
爆発事故を起こしたアポロ13号の機械船 http://nssdc.gsfc.nasa.gov/ planetary/lunar/ap13acc.html |
アポロ15号から積まれた月面車 http://nssdc.gsfc.nasa.gov/ planetary/lunar/apollo_lrv.html |
月面における活動(アポロ17号) http://www.lpi.usra.edu/expmoon/Apollo17/A17_Photography_surface.html |
c.アポロ以後
アポロ計画以後、しばらく月の探査は行われなかったが、2007年以降、日本を始め中国、インド、アメリカなどが月探査を目指す予定である。
探査機名 | 国・共同体 | 打ち上げ | 目的・探査内容 |
クレメンタイン | アメリカ | 1994年01月25日 | 軍事衛星を転用した。様々なカメラを搭載。月の極地の太陽光が当たらないクレータの底に水(氷)がある可能性を認めた。 |
ルナ・プロスペクター | アメリカ | 1998年01月06日 | 極地の水(氷)の存在の確認をしようとした。最後に極地に落下してその衝撃で発生する水蒸気を観測しようとしたが、確認できなかった。 |
スマート1 | ヨーロッパ | 2004年9月27日 | スイングバイ技術と電気推進を使ってゆっくりゆっくり高度を上げ、1年以上かけて2004年11月16日に月の軌道に入った。月面の元素祖組成、鉱物組成を調べる。 |
ルナA(中止、※参照) | 日本 | 中止 | 月の表・裏面に観測機械を積んだペネトレータを打ち込む予定。母船は月を周回。 |
かぐや(セレーネ) | 日本 | 2007年09月14日 | 月のまわりを回る周回軌道に乗り、月面の詳しい観測を行った。 |
嫦娥1号 | 中国 | 2007年10月24日 | 月のまわりを回る周回軌道に乗り、月面の詳しい観測を行った。 |
※ ルナAは当初1997年に打ち上げ予定だったが、ペネトレータの開発が遅れ、すでにつくってしまった母船が老朽化してしまったためという理由で、計画そのものが中止になった(2007年1月)。
※ 木星探査機ガリレオなどの惑星・小惑星探査機も飛行途中で月の観測を行っている。
クレメンタインが444kmの高さで撮影したチャントクレータ(直径45km) http://nssdc.gsfc.nasa.gov/ planetary/lunar/clementine1.html |
月のまわりを回るルナ・プロスペクター(想像図) http://nssdc.gsfc.nasa.gov/ database/MasterCatalog?sc=1998-001A |
月のまわりを回るルナAとルナAから投下されるペネトレータ(このルナA計画は中止になった)。 http://nssdc.gsfc.nasa.gov/ database/MasterCatalog?sc=LUNAR-A |
かぐや(セレーネ) http://www.jaxa.jp/projects/sat/selene/index_j.html |
かぐや搭載のハイビジョンカメラが写した月の表面と地球 http://www.jaxa.jp/press/2007/11/20071113_kaguya_j.html |
月の裏側のクレーター(モスクワ)。25億年前ころの月の中ではもっとも新しい溶岩。 http://www.jaxa.jp/article/special/kaguya/seika01_j.html |
かぐやが作成した月の地形図(裏側に最高点10750mと最低点−9060mがある。また裏側には大きな海がないこともわかる)。 http://www.jaxa.jp/article/special/kaguya/seika01_j.html |
かぐやが撮影した月の北極。1年中日が当たる場所(永久日照)はなかった。しかし、永久に日が当たらない場所(永久影=氷が存在する可能性がある)はあった。 http://www.jaxa.jp/article/special/kaguya/seika01_j.html |
ガリレオ:1989年10月に打ち上げられたアメリカの木星探査機ガリレオは、まず地球の軌道の内側に向かい、1990年2月に金星の観測とフライバイ(惑星の引力を利用して加速する方法)を行ったのち、地球に近づいて(1990年12月)フライバイを行った。小惑星(ガスプラ)の観測を行った後1982年12月に地球に再接近して再びフライバイを行い、さらに途中の小惑星(イデ)の観測を行った後、1995年12月に木星に到達した。下の写真はガリレオが撮影した、地球と月の写真である
もちろん、ガリレオという名はイタリアの科学者ガリレオ・ガリレイ(1564年〜1642年)にちなんでいる。彼は自分でつくった望遠鏡で木星の大きな4つの衛星(これらの衛星をまとめてガリレオ衛星という)を発見した。ガリレオはこれらの衛星が木星のまわりを回るのを観測して、地球の公転を確信したという。
http://nssdc.gsfc.nasa.gov/planetary/lunar/lunargal.html
かぐや:開発中はセレーネという名前だった。子衛星を二つ放出し(かぐや姫を育て見守る“おきな”(翁(おじいさん))、“おうな”(媼(おばあさん))と命名された)、本体“かぐや”とあわせた3つの衛星で協力しながら月の観測を行う。かぐやは打ち上げ時の本体重量約3トン(観測機器だけで300kg)という、クレメンタインの打ち上げ時450kg、ルナ・プロスペクターの打ち上げ時300kgと比べると、比較にならないくらいの巨大月探査機である。
かぐやは高度100kmの極周回軌道(月の北極・南極の上空を通る軌道=月の全表面を観測できる)で観測を行った。かぐやの高性能地形カメラの分解能は10m、X線で表面の元素分布を調べるカメラの分解能は20mという。その他の観測機器も使って、月表面の元素組成、鉱物組成、地形、表面付近の地下構造、磁気異常、重力場の観測を行う。おきなは最高高度(遠月距離)2400kmの軌道に乗り、主衛星かぐやと地球の送信の中継、月の重力観測を担当した。おうなは最高高度800km(遠月距離)の軌道に乗り、かぐや、おきなとの共同作業(VLBI(Very Long Baseline Interferometry:超長基線電波干渉法)を担当した。
かぐやは2009年6月に運用終了(月面表側に制御落下)、おきなは2009年2月に運用終了(裏面に制御落下)、おうなは2009年6月に運用終了(電波を止めた)。
かぐやについては、JAXAのサイトを参照。
嫦娥(じょうが):嫦娥の重量は約2350kgなので、かぐやと同じような巨大月探査機といえる。主な使命は技術の確立、表面の探査のようであり、かぐやともダブるものが多い。なお嫦娥とは、月にすんでいるという仙女の名前である。なぜ彼女が月にすむようになったかについてはいくつかの話がある。いずれも、弓の名人だった夫(10の太陽が現れて人々を苦しめたとき、そのうちの9つを射落としたという)が手に入れた不老不死の薬を飲んでしまって、月に昇ったという大筋は変わらない。月では孤独な生活を送っているようだ。なかには嫦娥は、月でガマガエルになってしまったというバージョンもある。
月探査情報ステーション:http://moon.jaxa.jp/ja/index_js.shtml
NSSDC(National Space Science Data Center、英語): http://nssdc.gsfc.nasa.gov/planetary/planets/moonpage.html