2003年8月20日(水)〜21日(木)、また思い立って、今度は富士山です。富士山は「一度も登らぬ○○、二度登る○○」といわれたり、「見るだけの山」とかいわれています。私はこれで3度目。3度以上登ると「おお○○」といわれて「尊敬」されるそうです(^^)v
前回は16年前(1987年)でした。その前はもうずっと昔、あまり昔すぎて何年前なのかなかなか計算できませんが、中2のとき友人と二人で登っています(夜行で行って吉田口から登り、砂走りを降りて山中湖のユースホステルに泊った記憶がある)。いまから16年後にはもう登れそうにありません。
※ 2006年8月3日(木)、4日(金)に富士山に行ってきました。そのときの様子はこちらをクリック。
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(1) 1日目
東京は、お盆の週からずっと天気が悪く、天気予報では週明けから天気が回復するということでしたが、まるで梅雨空のようなぐずついた天気が続いています。でも、もしかすると富士山なら雲の上に出ているのではないかという淡い期待を持って、20日の朝4時半ころ出発しました。
中央高速の河口湖線に入ると濃霧です。一応今回は雨対策(防水対策)と寒さ対策はしてきました。でも、高速を降りスバルラインに入ると快晴です。ということで、結果的には日焼け対策をしてなかったのがまずかった。終点(5合目、標高2,300m))の駐車場は満杯ということで、かなり手前の駐車場に車を入れることになりました。6時半ころです。まあ、この程度のアルバイトは高地馴化にちょうどいいかもしれないと思いました。身支度をして出発。
佐藤小屋へ続く車道をたどって(ちょっと下って)、登山道入り口についたのは7時5分ころ。ここからは標高差1,400m以上をひたすら登ることになります。出発地点は5合目ということです。ちなみに吉田口の1合目は標高1,405mです。どうやって決めたのだろう。
7時20分ころ6合目の安全指導センターを通過。ここで、下山道の地図をもらいます。最初は砂礫の道、8合目付近はむき出しの溶岩の道です。8合目付近はきつい。風景に慰められながら、登るしかありません。いかに人間が重力の束縛のもとに生きているかを実感します。水平に1,400mなんて簡単ですが、垂直1,400mは大変です。
7合目が8時10分ころ。ただし、7合目や8合目はそれを名乗る小屋が多く、どこが本当の7合目、8合目かわかりません。小屋の前にはベンチが置かれていて、休憩することができます。8合目(の一番下?)の太子館が9時半ころ。各山小屋は天気がいいので、一斉に蒲団干し。
標高3,250mが10時20分。標高3,400mが10時40分。頂上に近づくとまた砂礫の道になります。このへんはかなり疲れているのでやはりきつい。やったー、頂上(河口湖側、浅間大社奥宮)到着は12時15分でした。
この日の宿を決め(山口屋にしました)、荷物を置いて、13時ころお鉢巡り(おはち巡り)に出発です。富士山頂上の巨大な火口(直径780m、国土地理院)を回るわけです。右回り(時計回り)にしました。
銀明水や富士宮口の頂上(ここには郵便局もあります、登頂証明書を発行してくれるそうです)を通り、すべりやすい馬の背を登れば、日本の最高地点剣が峰です。巨大なレーダードームは撤去されましたが、気象庁の測候所は残っています。ちなみに、この日の正午の気象は、北北西の風3.0m/s、8.2℃、653hPaということでした。剣が峰は13時20分。記念写真を撮ってもらったりします。巨大な火口もよく見えます。火口の虎岩と呼ばれる大きな溶岩塊は、879年以前にすでに見た人がいるそうです。その時は火口の底には青色の水(お湯)が煮えたぎっていたそうです(本朝文粋の富士山記)。
もちろん国土地理院の三角点もありますが、なぜか二等三角点です。横の説明石版には北緯35度21分38.261秒、東経138度43分38.515秒、標高3775.63mとありました。
以前はこの先に梯子がありそのまま降りられたはずですが、いまはちょっと戻ってお鉢巡りを続けます。見慣れない小さなドームがありました。富士山頂サブミリ波望遠鏡(東京大学理学系研究科初期宇宙研究センター)だそうです。このへんから火口壁の縁にもう一度登り直すと、大沢崩れの源頭がよく見えます。剣ヶ峰も崩れそう。
小さな火口(アミダカ窪)の脇を通過して、天明水を右下に見て、ちょっともう一度登り直すと、もうすぐに河口湖側(浅間大社奥宮)です。河口湖、山中湖などもよく見えます。登ってくる登山者もたくさん見えますが、「渋滞」というほどではありません。奥宮に戻ったのは14時すぎでした。
ビールを買って(350mLが600円、ちなみに500mLのペットボトルは500円、缶ジュースなどは400円)、外のベンチでぼんやりと過ごします(“浩然の気を養う”ってやつですね、凡人には使わない?)。東京方面はすごい雲海。天気が悪いことが実感できます。
さて、山小屋は従来通りの“山小屋”でした。部屋(蚕棚)や寝具(これだけでは寒い)、夕食(カレーライス)、これは仕方ないか。1泊夕食付6,000円(素泊まり5,000円)、単品のカレーライスが1,200円だから200円の割引。
夕食後、外を見たらまだらの雲海にかろうじてブロッケン(の妖怪、ご来迎、グローリー)が写っていました。19時消灯。しかし、なかなか寝られない。結局断続的に何回か寝たようですが、熟睡という感じではありませんでした。
スバルライン入ってまもなくの駐車場から。 | 吉田口の登山道入り口。 | 山中湖と道志山塊。 | 遠くに見えるのは八ヶ岳。 | 遠くは南アルプスの山々です。 |
富士山の巨大な火口。ここからの大規模な噴火は、ここ1,200年くらいありません。 | 日本の最高地点、剣ヶ峰での記念写真。 | 吉田口の登山道です。 | 東京方面は、このようなすごい雲海の下になっています。 | 夕日の影富士。左にかすかにブロッケンが見えます。 |
(2) 2日目
朝、4時前に明かりがつきました。既に登山者はたくさん登ってきています。私は小屋近くの大日岳で待機することにしました。西風が強く、体感温度はかなり低い。持ってきた服を全部着て、その上から雨具をウィンド・ブレーカー替わりにします。4時過ぎから、東の空が赤くなり始めます。でもまだ、オリオン座などの星もよく見えます。朝食代わりのパンなどをかじって、ご来光を待ちます。
5時をほんのちょっと回ったころ、いよいよ太陽本体が姿を現します。後は見る間に全体が見え始め、空もどんどん明るくなってきます。後ろを振り返ると、剣ヶ峰がモルゲンロートに染まっていました。小屋が建ち並んでいる「富士山銀座」には大勢の人がいます。
天気がいいので、またお鉢巡りをすることにしました。5時半ころ出発。剣が峰は6時10分ころ。富士山の西側がよく見える大沢崩れの源頭付近に来ると、見事な影富士が見えます。ただ南アルプスは見えるのですが、それ以上の遠望はききません。
昔は大回りと称して雷岩、釈迦の割石、大日岳と外側を回れたようですが、いまは危険ということで通行禁止です。この日は、昨日パスした金明水にまで降りてのぞいてみましたが、水はありませんでした。でもこんなところに、オコジョがいました\(^-^)/。
6時45分ころ元に戻りました。大勢の登山者の中には自衛隊の隊員(訓練登山?)もいました。もう一度火口をのぞいて、7時ころに下山を開始します。度重なる落石事故のためか、吉田口と須走口の下山道は最初は一緒です。ブルドーザー道を利用することになっています。砂礫の道ですべりやすくて大変です。今度は標高差1,400mを一気下り。あっという間に頂上が遠ざかっていきます。
落石を避ける分厚いコンクリートでできた避難所を通過して、7合目の「乾燥トイレ」前のベンチで一休み。8時20分ころになっていました。乾燥トイレは水や電気をを使わないで清潔に保つトイレ(チップ制100円程度)だそうです。頂上にはバイオトイレなるものありました(200円)。
さらに落石を避けるために何カ所かに設置されたシェルターなども通過しながら、6合目の指導センターが8時45分。ようやく道が平になってきた脇には、小さいけれど立派な土柱がみられました。登山道に入り口に戻ったのは9時ちょっと前。ここからは再びゆるい登りになって、スバルラインの終点、お店屋さんがたくさん並んでいるとこまで20分くらいかかります。開いたばかりのお店に入ってうどんを頼み、今回の山行きは終わりました。
帰りの高速も順調で、自宅には11時半ころ着いてしまいました。
かなり平均年齢の高い他の山とは違って富士山は、老若男女、小さい子供を連れた家族連れも多く登っています。学生程度の年齢のグループもたくさんいました。ちょっと華やいだ感じです。外国人もたくさんいました。でも、それ以上に驚くのはツアー客が大変に多いことです。たった一人でこうしたツアーに参加しているらしい若い女性も結構いたようで、それも驚きです。体力・技術がわからない、仲間でもない大勢の人を引率するガイドの方は本当に大変だと思いました。だいたいは前日に8合目付近まで登っておいて、夜、ご来光を見るために登頂して、そのまますぐに下山するようです。
富士山の魅力はその展望と、ご来光だと思います。今回は、展望はちょっと優れませんでしたが、ご来光は素晴らしかった。ゴミも目立たなかった。トイレ問題も努力の跡が伺えます。もう9月も近いということで(今週末で今期の営業を終了する山小屋もあるようです)、それほどの混雑ではなかったことも幸いしました。ただ、山小屋はもうちょっという感じです。従来のイメージ通りでしたから。
やはり、標高差1,400mの一気登り、一気下りはつらい。登山道入り口から吉田口頂上まで5時間とちょっと、下りは同じく2時間程度です。幸いなことに、脳が必要としている酸素が少なくていいためか(活動していない?)、日本の山程度の高さなら高山病には罹らないみたいです。でも、体力・気力の年齢的衰えは激しく、多分これが最後の富士山になるかと思います。
2003年8月記