2001年7月26日から8月6日にかけて、ノルウェーとオランダに行って来ました。
8月1日にオスロからアムステルダムに移動しました。アムステルダムで息子が働いているので、彼に会うのが一番大きな目的です。アムステルダムの街は、オスロから移ってくるとちょっとごみごみした印象になります。
アステルダムを拠点にして、そのほかの街へは列車で、アムステルダム市内はおもにトラムで移動して、オランダをいろいろと見て歩きました。
目次
8月1日 オスロからアムステルダム
8月2日 デルフトとデン・ハーグ
8月3日 ライデンとザーンセ・スカンス
8月4日 アムステルダム−1−
8月5日 アムステルダム−2−
8月6日 帰国
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8月1日 オスロからアムステルダム
まず友人の車でオスロのダウンタウンへ。友人が会社に行っている間、しばらく時間があるので、港や中央駅まで散歩しました。再び友人と会って、でも国立劇場前駅でお別れです。ここから電車で空港に向かいます。 空港ではさすがに手荷物検査はありましたが、パスポートはノー・チェックでした。ノルウェーはEUには参加していないので、ちょっと意外でした。ノルウェーのTax Freeのお店で買い物した税金の戻しをここで現金化して、免税店で息子へのお土産(巨大なスモークサーモン)を買い込みました。 2時間くらいのフライトでスキポール空港に到着。機内食は例によりサーモンでした。空港の外に出る(オランダ入国)ときもノーチェック。 空港の売店で小銭をつくって、息子に電話。アムステルダム中央駅で落ち合う場所を決めました。電車に乗ってアムステルダム中央駅に行きました。不安げな旅行客が、近くの人にここはアムステルダム中央駅かといていましたが、きかれた人は“ I hope so(^_^) ”と答えていました。うまいなぁと思いました。 CD屋は1軒しかないということで、待ち合わせ場所はそこにしたのですが、CD屋が2軒あって焦りました。それでも、何とか落ち合うことができました。とりあえずのホテルとして、ライツェ広場近くのスミットというところにチェック・イン。 その後、息子が働いている別のホテルのレストランで豪華な夕食をごちそうになりました。いちおうきちんと働いていて、まわりからもそれなりに認められているようでちょっと安心しました。ここへは息子が恥ずかしがったので、カメラを持っていきませんでした。 |
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オスロ港のアーケルブリッケ。人気スポットです。 | オスロ中央駅付近を走る2台連結のバス。 | 地下にある国立劇場から、空港行きの電車に乗ります。ここで友人とお別れ。 | オスロ空港内の免税店。 | スキポール空港の名物、トイレのハエ(の絵)。 |
8月2日 デルフトとデン・ハーグ
トラムでアムステルダム中央駅へ行きます。そこから特急でデン・ハーグ中央駅へ。そこで乗り継いで、デルフトへ。といきたかったのですが、デン・ハーグ中央駅から乗ったのが特急だった(本当は隣のデン・ハーグHS駅で鈍行に乗り換えなくてはならない)ので、ロッテルダムまで行ってしまいました(^^ゞ デルフトに戻ります。 この街はデルフト・ブルーの焼き物で有名です。王立ポースレン・フレス焼き窯元の展示室と工場を見学しました。帰り道では跳ね橋が実際に跳ねているところを見ることもできました。 デン・ハーグに戻り、ピネンホフ(お城)横のマウリッツハウス美術館で、フェルメールやレンブラントの絵を見ました。そして平和宮(国際司法裁判所)を見て(中には入れない?)、市立美術館を目指しました。市立美術館にはのエッシャーがあるということなので、ちょっと遠くても頑張って行ったのですが、彼の絵は3点しかなくちょっとがっかり。帰り道は日本大使館(かつて赤軍派に乗っ取られたことがありました)もある大使館街(平和宮裏)を通り抜けて、中央駅に戻りました。 アムステルダムに戻ってもまだ時間の余裕があったので、運河クルーズに参加しました。運河の低い目線から街を見るのもおもしろいです。 トラムでライツェ広場まで行き、ホテルに戻って一休み。その後近くのオープンカフェスタイルのレストランで食事ををしていたら、隣のおじさん(アメリカ人)に、「この街は狂っている」といきなり話しかけられてきました。「なぜ」と聞き返すと、「自転車も人もトラムもごちゃごちゃ走っているのに、事故が起きない。」だからだそうです。たしかに自転車の多い街で、結構なスピードで走っています。 右の写真が、ライツェ広場から数分のところにあるホテル・スミットです。夕飯を食べたレストランの斜め前にあります。 |
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ホテル・スミット名物?カウンターを占領する巨大ネコです。 | デン・ハーグ行きの特急電車の車内。2階建ての2階の席です。 | デルフトの王立ポースレン・フレス焼き窯元で、絵付けの実演を見学しました。 | 跳ねた跳ね橋の下を船が通過します。(デルフト) | ピネンホフ(王宮)横のマウリッツハウス美術館。入り口は右側にあります。(ハーグ) |
ハーグの平和宮(国際司法裁判所)。 | 日本人に人気の“スヘフェニンゲンの森”です。海岸には行きませんでした。(ハーグ) | 運河クルーズ。7つの橋が見える場所です。(アムステルダム) | 家々には、荷物をつり上げるための滑車がついています。オランダは土地が狭いので、階段もせまい。大きな家具は滑車でつり上げます。 | このレストランで夕食を食べました。 |
8月3日 ライデンとザーンセ・スカンス
この日はホテル変える予定なので、朝チェックアウト。2泊で180ギルダーくらいでした。当時は1ギルダー=44円くらいだった。でも、いまはユーロ一本? 荷物を預けて出発。 ライデンへは、中央駅からハーグ行きの特急に乗ればいいことは昨日確認済み。でも、ホームで待っていたらハーグ行きの表示が消えてしまいます。駅員にきいても要領を得ない。ままよと、停車中の列車に乗っていたら、結局15分遅れで出発、無事ライデンにつきました。 ここはシーボルト(1796〜1866年)ゆかりの街のはずです。ライデン大学の植物園を目指します。デ・フォルク風車やプット風車をみながら、適当に歩いていたら商店街に入り込んでしまい、例により迷子になりました。商店街を歩くのもおもしろいからいいですけど。 仕方ないので、プット風車まで戻り、今度はきちんとガイドブックの地図を見てやっとライデン大学に到着。植物園では日本庭園の位置まで教えてくれました。そこにはシーボルトが持ち帰った日本の植物が植えてあります。彼が持ち帰って木には日本語の表示もあります。欅槻とか鬼胡桃、橡とか。 次に、国立民族博物館へ。ここにもシーボルトが収集したものが集められています。とても広い博物館ですが、入口で日本(と朝鮮)のコーナーを教えてもらいました。日本コーナーでは現代の日本の写真も展示してあって、オバンギャルもいました。 アムステルダム中央駅に戻り、今度はローカル線でザーンセ・スカンス最寄りのコーフ・ザーンデイク駅を目指します。乗り換え時間が10分しかなかったので、キヨスクでパンを買って列車内で食べました。 コーフ・ザーンデイク駅で降りたのは私一人だけ、駅前商店街というものもない。ちょっと不安でしたが、道案内でザーンセ・スカンスもあったので一安心。歩いて10分くらいで、風車の村ザーンセ・スカンスが見え始めます。ここは、古き良き時代をテーマとしたテーマパークのようです。どこから来たのか(観光バスや自家用車ですね)、ここまでくると観光客がいっぱいでした。 回っている風車はやはりおもしろいです。ここには動態保存されている4台の風車があります。中に入るとどういう仕事をしているのかもわかります。私が見たのは粉ひき(デ・カット)と油絞り(デ・ゾッカー)の風車でした。おみやげ屋さんもたくさんありました。木靴やさんには世界の木靴のコレクションもあり、日本の下駄が展示されていました。それらを探検したり、カフェでおやつを食べたりしました。 アムステルダムのホテル・スミットで荷物を受け取り、息子が働いているホテルにタクシーで移動します。ちょっと中心街からは遠いところにあります。ここは「高級」ホテルなので、部屋の鍵がないとエレベータで客室階へ行けないようになっています。 一休みしたあと、トラムに乗ってまたライツェ広場へ。裏通りの適当なお店で夕飯です。見知らぬアメリカ人家族のおじいさんから、「メニューは聖書みたいで見ても混乱する」と話しかけられてしまいました。結局そのおじいさんは、私が食べていたセットメニューを注文していました。そのあと、コンビニで夜食とビールを買い込み、ホテルに戻りました。 |
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アムステルダムのとラムの車内です。これで中央駅に向かいます。 | ライデンへの列車の車窓から。近代的な風車が見えます。 | ライデン市の商店街。 | ライデン大学内の植物園には日本庭園もあります。奥はシーボルトの胸像。 | シーボルトが持ち帰った木です。日本語で欅槻とあります。 |
粉ひき風車デ・ゾッカー。すごい勢い出回っていました。風向きによって風車の向きを変え、それを固定する装置がよく見えます。 | 油絞りの風車デ・カットの歯車。後ろの親子と比べるとその大きさがわかります。 | 木靴やさんでは木靴作りの実演販売。 | 回るデ・ゾッカー。約2.8MBのQuick Time 画像です。ブロードバンド向け。 | ライツェ広場の裏のレストラン街。 |
8月4日 アムステルダム−1−
今日も朝は天気が悪い。朝、ホテルを出る前に息子に電話したらまだ寝ぼけていたので、午後にもう一度電話することにしました。 まず例により25番トラムに乗って中央駅に。そこからダムラックを歩いてダム広場まで。西教会を目標にアンネの家を目指します。9時15分ころについたためか、いつもはすごいと聞いていた行列は短く、15分くらいの待ち時間で中に入ることができました。入ってすぐの説明コーナーでは日本語ガイドもあります。アンネの隠れ家は予想外に広かった。あんなものがよく長い間見つからなかったと感心しました。オランダの家の構造は複雑で、上では、下の玄関からは思いもかけぬ場所に繋がっていることもよくあるそうです。 アンネの家のホームページはこちら。 再び駅に戻り、こんどは国立海洋博物館を目指します。歩いたら結構遠かった。東インド会社のアムステルダム号の本物も停泊していて、中に入れます。博物館には日本コーナーもありました。 こんどは、海上皇宮という中華レストランの前を通り駅に戻ります。このルートは近かった。ダムラックのオープンテラスで食事。息子に電話して、ゴッホ博物館で落ち合うことにします。 時間の余裕ができたので、旧教会近くの飾り窓地区を探検。本当に教会の隣にも飾り窓があり、家族連れなども平気で歩いています、というかここを通り抜けないと別の地区に行けません。ただ、片隅には明らかに売人と思われる人もたむろしています(駅の隅にもいます)。 5番のトラムでライツェ広場に行き、そこから国立博物館にいきました。有名な絵がたくさんあります。 ゴッホ博物館で息子とあって、中を一緒に見学して、カフェでビールを飲んだら、外で飲むのと比べてべらぼうに高かった。 その後、寄り道をしながら息子のアパートに行きました。息子の家でまたビールを飲んでから、食事に出かけます。ホテル近くのイタリアンレストランで食事。料理もお酒ものすごくたくさん頼んだ感じでしたが、5,000円もしない。 ホテルでは部屋まで息子がついてきます。このホテルのレストラン(ここで働いている)の客席といい、客室といいこれまで入ったことがないといいます。客室の立派さに感激し、バスタブがついているのを見ると風呂にも入り(彼のアパートはシャワーのみ、町中ではバスタブ付きのアパートは少ないらしい)、ついでにシャンプー・リンスなどすべてを持ち帰って行きました(x_x) |
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アンネの家です。もうこんなに行列が。 | 西教会前のアンネの銅像。ときどきネオ・ナチの標的になっているそうです。 | ダムラックの雑踏。後ろはアムステルダム中央駅。東京駅のモデルです。 | 国立海洋博物館のアムステルダム号。後ろの左斜め後ろが中央駅の方向です。 | “飾り窓”。旧教会の裏手になります。 |
国立博物館にあるレンブラントの“夜警”。 | 人気のゴッホ博物館。中は珍しく撮影禁止。 | ふつうのスーパーマーケットですが、さすがにチーズ売り場は充実しています。 | 息子のアパートのベランダから、働いているホテルが見えます。 | 泊ったホテルの部屋からの眺望。オランダではまだ高層ビルがあまりありません。ここは22or23階。 |
8月5日 アムステルダム−2−
この日も朝は天気が悪い。荷造りをして9時過ぎにチェックアウトしました。なんとスミットより安い。初めからこちらに泊ればよかった? “関係者特別料金”でしょうが。荷物を預けて出かけます。 例により25番トラムでいったん中央駅に出てから、旧教会・飾り窓地域を抜けてニュー・マルクト広場に。ここには計量所があり(現在はカフェ)、広場には雑貨を並べた市が立っています。ついで、東インド会社の建物(現在はアムステルダム大学の一部)を見て、ダム広場に戻ります。新教会の中ものぞきました。 ベギンホフ(身よりのない婦人が暮らすところ、ホフは中庭を持つ建物の意味)を見学しました。どうして実際に人が住んでいる住宅の中庭が観光地になっているかのわからないと思いつつ。 ここのスパイ(水門)広場の市は美術品専門でした。近くの拷問博物館は、以前明治大学刑事博物館でやっていた世界拷問展の方が充実していました。運河を渡り、有名なシンゲルの花市場を見学しました。 ダム広場に戻り、近くの中華料理屋で昼食をとります。 猫博物館に戻り中を見学しましたが、たいしたことはありません。ついで、ゴッホが描いたので有名なマヘレの跳ね橋ですが、そうでなければふつうの跳ね橋です。ワーテルロー広場近くのレンブラントの家は中を見学しました。当時のアトリエが保存されているそうです。 ニューマルクト広場から中華街(といっても規模は小さい)を通り抜けて、中央駅に戻ります。まだ飛行機の時間まで余裕があるので、20番トラム(ツーリストトラム)に乗って、アムステルダムを1周(約50分)。それでも時間があったので、地下鉄にも乗って、次の駅のニュー・マルクト広場まで往復しました。地下鉄は自転車にも対応していてさすがだと思いました。 25番トラムでホテルに戻って荷物を受け取り、タクシーで空港へ。タクシーでは30分、60ギルダーくらいです。タクシーをつかったのは正解で、こんな広大な空港では航空会社のカウンターを見つけるのも大変だっただろう。 受付が早かったので窓際を頼みました。時間もあるので免税店を探検、残りのギルダーをほとんど使い切ったあと、カフェでビールを飲んでのんびりします。 20時15分発のほぼ予定どおりに出発。飛行機はほぼ満員どころか、座席発行にトラブルがあったらしく、夫婦でも別々の席になったりしていました。搭乗してすぐに睡眠タイムになり、窓を閉められてしまった(そもそも翼の上の座席)ので、あまり窓際を確保した意味はありませんでした。 パソコンの電源はすぐに消耗して、写真の整理もできません。さすがに疲れていたので本も読めずに。ぼけー・うつらうつらとときを過ごしました。 |
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ホテルの室内。TVはインターネット端末を兼ねています。 | 計量所。現在はカフェです。 | 中華街。ここを抜けると飾り窓地区です。 | 東インド会社。現在はアムステルダム大学の一部になっています。 | ペギンホフの中庭。 |
シゲルの花市場。 | マヘレの跳ね橋の下をクルーズ船が通過します。 | レンブラントの家。中は当時のままに残されています。 | 地下鉄車内の自転車置き場です。 | この飛行機で帰国です。 |
8月6日 帰国
機内で日付が変わります。窓の覆いを開けると窓に雪の結晶がついていました。日本に近づいても翼のため真下は見えませんが、遠く雲の上に富士山が頭を出しているのが見えました。 飛行機は予定(14時15分)より10程度早く成田に着いのですが、荷物でかなり待たされました。うまい具合に15時15分発新宿行きのの成田エクスプレスがあったので、それを利用しました。荷物が重く、新宿駅などの階段が大変でした。このへんが問題ですね。 |
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飛行機の窓の雪の結晶がつきました。 | はるか彼方、雲の上に富士山が頭を出しています。 | 成田空港近く。高速道路が見えます。 | 荷物はなかなか出てきません。 | 成田空港駅に向かいます。 |
参考:オランダ政府観光局