入門講義現代人類学の冒険 里見龍樹 平凡社新書 ISBN978-4-582-86071-9 1,100円+税 2024年11月
ソロモン諸島マライタ島、そこで暮らしている「アシ」と呼ばれる人たちを研究対象(フィールド)としている筆者が、ここでの研究を例にして「人類学」の方法、何を研究するのか、どう研究するのかなどを説明して、「現代人類学」とは何かを若い人たちや一般人に伝えようとしている。
かつては(今でも?)「文化人類学」といわれ、また「アシ族」と呼ばれていた用語を、なぜ「人類学」とか「アシ」というようにしたのかもこの本の一つの主題である。
後者については、“族”という言葉が持つニュアンスを避けたいということのようで、これはそれでもいいのだが、研究対象が関西に住む人たちだったらどうなのだろう。ここでは関西人になると思う。つまり、アシがそこに住んでいる人たちの呼称なのか、地名なのかは一般の人には分からないので、アシ人でいいと思う。
前者は難しい。“文化”という言葉は避けたいということはわかるが、「人類学」といっていいのかが、第3章での説明でもよくわからない。
一般に「人類学」という言葉で想起されるのは、生物の一つの種としてのホモ・サピエンス(ヒト)がどこでどう発生して(先祖から分岐して)、そしてどう拡散、進化していったのか探る学問という印象が強い。とくに日本では理学部(医学部)に所属してる人たちの、そうした研究とその成果というイメージが強いと思う。
その人類の現代における様々な生きよう(具象的に抽象的にも)、個としてのまた集団としての考え・思いを、歴史的な背景、自然(そこに存在する動植物とその生態系、さらにそこの地形・地質、さらには気象・気候を含めた環境)との関係、そして集団としての人が作る社会など総体を研究する学問ということなので、広い意味ではたしかに人類学でもいいと思うが、ちょっと違和感もある。
「“文化”人類学」というときの“文化”という言葉の曖昧さ、これまでのイメージが、筆者の思う「人類学」とは違うものを連想されてしまうということなのだろうが、筆者が「人類学」といったときのイメージが、一般の人たちと共有されるだろうか。だから、難しい。
“ヒト”と“人”を書き分けたときの“人学”なのだろうが、これでは意味が通らない。“人間(じんかん)学”は”にんげんがく”と読まれそう。それでもいいのかもしれないがちょっと違う気もする。いい言葉が浮かばない。本の題名通り「現代人類学」が無難か。
目次は裏表紙。
追記
一晩経って、筆者のような研究はやはり「文化人類学」でいいのではないかとも思うようになった。やっていることは人−人、人−ものの相互関係を研究というものなので。
学生のころ、島津康男教授の地球物理の講義で環境問題(のちに環境アセスメントも)も扱っていて、さらに地球物理系研究室合同(地球物理はシミュレーションと超高圧、それと地震の3つ)の研究会というか談話会というかがあって、教員たちが今自分はこんなことをやっている・考えているというような話題が提供されていた。そこに普段は出張ばかりであまり出てこない(当時通産省や国連の仕事を請け負っていた)島津氏がいきなり出てきて、コンピュータを使った人類と地球の未来予測(「成長の限界」のような話し)を紹介しだした。
つまり、地球物理と称しながら内容は自由、すべて地球物理としていいんだと思った。だから、筆者も自分のやっていることは(ことこそが)「文化人類学」だといえばいいのではないかと思う。
2024年11月記