災害の日本近代史

災害の日本近代史 土田宏成 中公新書 ISBN978-4-12-102762-7 820円+税 2023年7月

 明治以降に日本を襲った自然災害について、自然科学的な側面からではなく、社会科学の観点から考察する。おもに取り上げているのは、外国からの日本への援助と、日本から海外への援助。日本は未だ貧乏国なのだから、海外への援助などおこがましいという人もいた時代から、「一流国」の証として災害援助はすべきであるという立場へ。

 桜島噴火(1914年)における大森房吉の話も出てくるが、この噴火のタイムラインがはっきりしない。1月12日午前に噴火が始まり午後大噴火、18時半にM7.1地震、噴火そのものは1日半続き、13日20時過ぎに火砕流と溶岩流出、溶岩は2〜3日後に海岸に達する。
 一方、大森房吉は14日に東京を出発、16日午前には鹿児島に着き「最早大丈夫、心配には及ばす」の安全宣言を出すという流れ。

 また、東西桜島村村長や巡査が測候所に問い合わせは11日午前から、地震については震源が桜島にない(本当は噴火による火山性地震)、12日朝までは「噴火の恐れはない」という安全宣言を出してしまった。だから、これは大森房吉の安全宣言とは違う。ただ、この結果測候所の判断を信じた人たちの逃げ遅れに繋がってしまった。

※ 東大地震研アウトリーチの「大正3年(1914)の桜島大噴火を巡る大森の安全宣言」は完全に間違っている。
https://www.eri.u-tokyo.ac.jp/outreach/%e5%9c%b0%e7%90%83%e3%83%88%e3%83%aa%e3%83%93%e3%82%a2/%e5%9c%b0%e9%9c%87%e7%a0%94%e7%a9%b6%e6%89%80%e3%81%ae%e3%81%82%e3%82%86%e3%81%bf/?pid=2641&fbclid=IwAR2yT7YEdBb9BPhJazJR49MngFUt450Pzx-HhW-efkbwINoN9chwgn3MOhc

 関東大震災における大森房吉 vs 今村明恒の話も当然出てくるが、今村の「予知」は1905年、内容も地震は必ず襲ってくるので、備えが大切という程度、しかも地震はその18年後、とても[予知]したとはいえない。当時の物理学者たちや、現在でも科学史家泊次郎氏のいうとおり、結局二人とも過度の過去の地震統計重視という所は同じ。

いずれにせよ、「朝鮮人暴動」などの流言卑語(警察が意図的にながしたという説もある)を背景に、内乱、外国の侵略に限定されていたはずの戒厳令は発布された件についてはもう少し突っ込んでもよかったと思う。でも、自警団や、さらには警察さえも“虐殺”に絡んでいたことはきちんと書かれている。

 1905年〜06年の東北大凶作では清(西太后)から、1914年桜島大噴火ではアフガニスタン(皇帝)からも援助があったという。


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2023年9月記

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