物語チベットの歴史 石濱裕美子 中公新書 ISBN978-4-12-102748-1 990円 2023年4月
同じ中公新書の「唐」に、一時長安がチベット軍に占領されたとあったので、チベット側の歴史を知りたいと思って読んでみた。だが、この本でもあっさり長安を占領したこともあるという程度。全6章(序章と終章を含め)のうち、4つの章が17世紀以降のダライラマ政権時代、しかもダライラマ13世が1つの章、ダライラマ14世(現在の人)が2つの章という具合に、ほとんど近現代史だった。
ダライラマ13世、14世の時代はかつてと違って、中国(国民党政府から共産党政府)に実効支配される時代になって、とくに14世は亡命政権になっている。新疆ウイグルと同様に宗教弾圧もすさまじいようだ。チベットは中国固有の領土ということなのだろうが(党の支配を思いのままにする理由)、唐時代は"平等”という条約も結んでいるので、やはり「政治は力関係」を実行しているにすぎない。あんなに広い領土をも持っていて、なおかついろいろと固執する不思議。もっとも領土となると、日本にも敏感に反応する人もいる。
2005年7月に中国四川省の奥地、チベット族や姜族(きょうぞく)が多く住む場所を回ったことがある。こちらからはまったく区別できないが、彼らは互いに相手が何族かわかるようだった。チベット仏教(ラマ教)の寺院は、文革時に徹底的に破壊されたものもあった。それでも信仰は厚く、一切の生き物を殺さないことは徹底していて、トイレの壁一面毛虫がびっしり付いていたりしても殺さない。せいぜい箒で掃き集めてバケツに入れ、どこかに持っていく程度。ホテル以外のトイレの使用はなかなか厳しいものあった(とくに女性は大変そうだった)。
美人の谷という丹巴(たんぱ)に行く途中に、唐の文成公主(7世紀初めにチベット族の吐潘王朝を築いたソンツェン・ガンポ王と政略結婚)と王が建てたという塔公寺に寄ったことを思い出した。深い谷に刻まれたばらばらの集落、とても歩いて行くのは大変と思われるような高い所にも道が続いていた。こうした環境で"民族”としてのアイデンティティを持ち続けるのは、もちろん一つは宗教だろうが、もう一つはやはり道を通じての実際の人の交流も、頻繁にあった(ある)のだろうと思われる。
通信手段がない時代、チベット族の人たちは"歌”で遠距離通信を行っていたという。だから、いまでも歌(さらには踊り)のうまい人が多く、丹巴など若い女性はそれを仕事に出稼ぎに出ているらしく、村には元美人しかのこっていなかった。可哀想だったのは、双橋溝という観光地のバスガイドさんは、本当は姜族の女性らしいが、チベット族の服を着て歌ってくれたこと。教えてもらわなければ、こちらには全然分からないが、スルーガイドの漢族の人が教えてくれた。
道路工事の現場では、大勢でのんびり作業していたが、一人だけ一生懸命働いている。ガイドさんによれば彼は漢族の軍人で、この工事をきちんとやれば、彼の業績になるということだった。働いているその他の人たちはチベット族や姜族の人。ガイドさんは漢族の人だったが、結構辛辣に状況を見ていた。
観光客が通る道沿い(観光客から見える範囲)のチベット族の家は立派なものが多く、また屋根には衛星放送受信用のパラボラを設置している家も多い。当時、北京政府はTVの普及を推進していた。TV塔を建てるより、衛星放送の方が手っ取り早い(今では携帯電話だろう)。"従順”な人に対する北京政府の飴のようだ。もっともTV番組は党のプロパガンダばかりで、あまり面白いものではないらしい。
1935年生まれのダライラマ14世も90歳近い。カリスマ的存在なので、彼が亡くなったあとのチベット情勢はどうなるのだろう。一応転生は、中国以外で見つけるとクギを差しているようだが。
2023年5月記