職業としての大学人 紅野健介 文学通信 ISBN978-4-909658-77-7 1,800円+税 2022年4月
筆者とはかつて同じ職場にいたことがある。当時から視聴覚教育にも興味を持っていたようで、昨今の大学の講義のIT化(リモート化)でも、その手腕を発揮していたようだ。
その後日大文理学部に移り、2022年に定年退職するころは文理学部の学部長だった。つまり、2019年に学部長になってすぐにアメフト部事件(学部長は自動的にアメフト部部長になるらしい)、さらには田中英寿理事長の脱税事件(背任事件)があり、またコロナ禍にも見舞われた、大変な期間だったということになる。また、学部長は大学の理事という立場にもなる。
やはり、この本の面白さは田中英寿理事長(とその取り巻き)が起こした背任事件を、理事の立場から、つまり内部から見たことが詳細に書かれていること、さらにはアメフト部事件もそうした大学の構造と無関係ではないことが、アメフト部の部長の立場から書かれていることだ。
そういう意味で、第1部の「大学の現在、そして危機の中の日常」は、とても興味深い。冒頭の東京地検の事情聴取の場面から始まり(具体的なその描写)、田中理事長の“御前会議”でしかない理事会の重苦しい雰囲気の様子から、理事長退陣までが書かれていて緊迫感がある。アメフト部事件と同根だと思うが、当事者能力のない理事の集合体でよくあれだけの巨大組織が運営できていたのだと、変な感心までしてしまう。一理事としては、既にできあがっている田中体制の中、実際に何が起きているのかはなかなかつかめないというもどかしい理事会の実態も明かされる。
背任事件にしても、田中理事長は遺法という意識はなかっただろう、ただ出されたお金を鷹揚に受け取っていただけだろうという筆者の認識は当たっていると思う。そういう人が理事長を長く続けてたこと、それを許していた人がいたこと(おこぼれを預かっていた人がいたこと)ということになるのだろう。
また、文科省の大学に対する“指導”がものすごく具体的で細かいことにも驚いた。 一連の出来事が、文科省による大学への介入の口実になっていることにすら気がつかない、対応できない理事長や取り巻き理事たちに対して、でも理事会を機能させるためにはその文科省の“指導”を利用せざるを得なかった筆者はとても悔しかっただろう。
第2部は学部長としての教職員向け定期的なメッセージ(学部長通信)、第3部は学生に対するメーセージ(式辞・祝辞など)である。上の事態が進行するなか、それに関することは書きたいことも書けなかっただろうと想像する。学部長通信のなかで、9月入学(学年歴変更)を主張しだした二人の教授(末富芳、広田照幸の両教授)の名前を挙げて、スタンドプレーとして批判しているが、よほどのことがあったのだろう。
2022年7月記