満州グランドホテル

満州国グランドホテル 平山周吉 芸術新聞社 ISBN978-4--87586-6369-8 3,500円+税 2022年4月

 満州国グランドホテルは、実在の満州ヤマトホテルとは違い、単に“満州国”全体を指している。この本は、そこで活動した、あるいは旅した人たちの群像を書き連ねる。ただし、満州事変から満州国成立やソ連参戦から満州国崩壊の時期を避けて、昭和12年〜13年(1937年〜38年)ごろの比較的安定期を中心として、またいわゆる二キ三スケ(東條英機、星野直樹、鮎川義介、岸信介、松岡洋右)や、甘粕正彦と河本大作(筆者は一ヒコ一サクと呼ぶ)などを中心とするものでもない( 星野直樹と松岡洋右は項目だてされている)、それほど名を知られていない、あるいは満州との関係をあまり知られていない大勢の人たち(目次を参照、主要人名索引では1,000名を超える人がリストアップされている)に焦点を当てる。もちろん、項目だてされていなくても二キ三スケや一ヒコ一サクの名はいろいろなところで登場する。

 それにつけても、戦後に活躍した政財界人、さらには文化人の中には、満州を舞台に活動していた人、あるいは旅して旅行記などを書いた人が多くいたことを改めて認識させられる。中には戦犯として有罪判決を受けた人、またソ連抑留を体験した人も多い。
 当時の満州は“怪しい人”、日本では自由に動くことができない(転向した人とか)を受け入れることができる、不思議な空間という側面、筆者の表現では様々なロンダリング、その一つとして前歴ロンダリングができる場所でもあったようだ。

 甘粕正彦は、その経歴からやはり多くの人に恐れられていて、あまり関わりたくないという人も多かったようだ。じっさい、「昼の満州は関東軍が支配し、夜の満州は甘粕が支配する。」ともいわれていたわけだし。ただ、彼に関する記述は満州映画関係が主で、この本ではそれほど登場するわけでもない。また、表紙には李香蘭(山口俊子)の絵も出ているが、満映関係者は出てきても彼女はほとんど登場しない。

 この本では要人たちは移動手段として、飛行機を使っていたようだ。木暮実千代の回想によれば、満州−日本の往復は200円、彼女の映画1本の出演料と同じだったという。今の価格はではどのくらいなのだろうか。旅客機はダグラスDC-3だったという(当時の最新鋭機)。それにつけてもライト兄弟の初飛行1903年からわずか30年ほどで、旅客定期便が日本でもあったことに驚く。

 小澤征爾の名は父・開作と親交のあった板垣征四郎と石原莞爾の名をもらったそうだ。

 あとがきには、この本を書く際の苦労話も出ている。一番大変だったのはコロナ禍で、国会図書館や大学図書館が利用できずに、資料の閲覧・確認ができなかったことだという。あと、もう一人の「男装の麗人」望月美那子は当初の項目にはあったが、この本では書けなかったという。望月美那子は知らなかったので、これは加えて欲しかった。

 ほかに満鉄調査部関係の人たち、あるいは戦後に芸能界で活躍した人たち(森繁久弥や芦田伸介など)も出てこない。もっとも本書だけで560ページを超える大部なので、彼らも加えたら大変なことになる。

 本書で取り上げられているのは、軍や政府・財界関係のエリートが多く、夢を持って、あるいはやむを得ずに満州に生活の基盤を移した庶民たちは出てこない。本書の性格からしてやむを得ないが、この辺も知りたいところ。

mansyugrandhotel-01.jpg (116502 バイト) mansyugrandhotel-02.jpg (78831 バイト)

目次
第1回 昭和13年秋、小林秀雄が満州の曠野でこぼした不覚の涙
第2回 小林秀雄を満州に呼んだ男・岡田益吉
第3回 「満州国のゲッペルス」武藤富男が、満映理事長に甘粕正彦を迎える
第4回 「満州国の廊下トンビ」小坂正則 その人脈と金脈
第5回 八木義徳の芥川受賞作「劉廣福」を奉天市鉄西工業地区
第6回 直木賞作家・蓁葉英治が勤めた大連憲兵隊と満州国外交部
第7回 笠智衆が満映作品「黎明燭光」に殉職警官役で主演する
第8回 16歳の原節子が、満州の「新しき土」を踏む
第9回 「満蒙放棄論者」石橋湛山の満州視察
第10回 ダイヤモンド社の石山賢吉が見たテキパキ「満州式」
第11回 大蔵省派遣「平和義勇軍」のリーダー星野直樹の8年間
第12回 田村敏雄−沢木耕太郎が発掘した満州の「敗者」(グッド・ルーザー)
第13回 「民族協和する」古海忠之の満州国13年と獄中18年
第14回 「甘粕の義弟」星子敏雄の満州と熊本
際15回 型破りの「大蔵官僚」難波経一−満州国「阿片」専売担当、そして「バタ屋の親父」へ
第16回 「武部六蔵日記」の満州国首都、宴会付けの日々
第17回 「快男児」大建茂雄総務庁次長−関東軍と大喧嘩した日系官僚のトップ
第18回 「満州事変の謀略者」板垣征四郎の「肝」と「顔」と「手」
第19回 「朝日新聞の関東軍司令官」竹内文彬・奉天通信局長
第20回 「満州国に絶望した」衛藤利夫・満鉄奉天図書館長の「真摯なる夢」
第21回 国際聯盟脱退、松岡洋右全県の「俺は完全に失敗したよ」
第22回 「ゴム人形」内田康哉の「焦土外交」が破裂するとき
第23回 ヒゲの「越境将軍」林銃十郎 死罪か総理大臣か
第24回 「満州は吾輩の恋人じゃよ」 小磯国昭関東軍参謀長の満州国「改造」
第25回 関東軍の岩畔豪雄(いわくろひでお)参謀、陸軍大尉の分際で、会社を65も起こす
第26回 「童貞将軍」植田謙吉関東軍司令官、ノモンハン「敗軍の将」として帰還す
第27回 「事件記者」嶋田一男と「ねじまき鳥」村上春樹の「国境線へ行く」
第28回 「オッチャン」芥川光蔵の映像が伝える満州の詩情と国策
第29回 初代「植民地の大番頭(c溥儀)」駒井徳三の「大志」と「小志」
第30回 匪賊に襲撃された矢内原忠雄教授の東京大学満州ネットワーク
第31回 長春→奉天→北京の小澤さくら 夫は小澤開作、息子は小澤征爾
第32回 「新幹線の父」十河信二の満鉄子会社「華北」に進出?
第33回 誇り高き「少年大陸浪人」内村剛介
第34回 新京「役人街」木田元の山形人脈
第35回 木暮実千代 新京での不倫、妊娠、新婚生活、凄腕の夫・和田日出吉
第36回 「北海道人」島木健作が持ち帰った一匹の「満州土産」
あとがき
満州国略年表
主要人名索引

2022年7月記

戻る  home