人新世 平朝彦 東海大学出版会 ISBN978-4-486-02200-8 3,000円 2022年3月
筆者は日本地質学会会長も務めたことがある地質学者。著書「地質学」(全3巻、岩波書店、2001年〜2007年)は、地質学の標準的な教科書だと思う。東大を定年退職したあと、海洋研究開発機構(JAMSTEC)の理事長、さらに東海大学海洋研究所所長を歴任している。東大を退官後、地質学的な観点ばかりか、視野がどんどん広がっていき、そうした総合的な観点から、現在の地球が置かれている状況を、技術史を中心に見直す。
具体的には、現在は人新世(アントロポセン)として、その始まりを1945年人類が核エネルギーの利用(原爆)、つまり人類の生殺与奪の権をみずからが握ったときとしている。さらにその後、科学・技術を背景とするもの、例えばエネルギーの使用量などが爆発的に増えていることもあげている。
人新世は彼が使い出した言葉でないが、現在の地球が新しい地質時代、つまり顕生代の新生代第四紀の完新世(最終氷期が終わった1.17万年前から現在まで)をさらに、完新世−人新世とわけ、その人新世に入ったとするものだ。
人新世については、それを設けるか、設けるとしたらその始まりはいつかなどは国際地質学連合でも検討が始まっているようだ。ようするに、人類の活動が地球全体に対して無視できなくなっているという現実を共通理解事項として、その開始時期をいつとするか。個人的には1945年以外にも、あと3つあると思っている。一つは人類が地球に対して積極的(能動的)なはたらきを始めた農耕・牧畜革命(ただ、これだと完新世とダブる)、もう一つは人類が社会活動に利用するエネルギーが、生物として利用しているエネルギーを上回ったとき(産業革命)、そして情報がエネルギー以上の役割を果たし始めたパソコンとインターネット普及し始めたとき(例えばWindows 95が発売された1995年)も考えられると思う。
この本で具体的に検討されている事柄は裏表紙の帯を参照。、地質学・人類学的という人類史の見方ではなく、科学技術史はもちろん、社会学的な歴史、さらにIT社会の未来も検討している。そこでは繰り返し、現在日本の残念な閉塞状況と、その始まり(バブル期とその崩壊)を述べている。確かにあのときの余っていたお金を、海外の不動産投資ではなく、未来のための投資へとできていたのなら、現在の日本は少しは違っていたのかもしれない。ジャパン・アズ・ナンバーワンとかおだてられていい気になってしまった、でもその内実は乏しかったということなのだろう。一時代、世界を席巻した科学技術(ものづくりジャパン)はもう過去のものなのに、その幻影を未だ信じている人が多いという悲しい現実(世界的なものづくりを担っているのは今は日本ではない)。細々と続いているにしか過ぎない「伝統工芸」をものづくりジャパンを代表するものとして紹介する危うさ(世界のどこにだってその地域の伝統工芸を受け継いでいる職人はいる)、科学の世界においての昨今のノーベル賞受賞者に日本人(勝手に日本人にされている人もいるが)が多いのは、まさに過去の残照、最後の光だろう。
この本では各章の最後に、その章の参考となる文献(文献だけではなく映画までも)が、簡単な内容とともに紹介されているのも特徴だと思う。これは大変参考になる。
この本で初めて知ったのは、古代〜中世アメリカ文明においては農業が発達していてということ、とりわけ南アメリカのアマゾン川流域では大規模な農業が行われていて、現在広がる熱帯雨林は、ヨーロッパ人が持ち込んだ疫病により南アメリカ先住民が壊滅的な打撃を受けた後に繁茂したものだという説(さらにコンゴの熱帯雨林もその可能性)だ。とすると、現在のアマゾンの熱帯雨林はとても歴史が浅いものになる。本当なのだろうか。
いろいろな箇所で言及されている「緑の革命」は、その負の側面も見て欲しかった。単位面積当たりの収量増を実現するための資本(灌漑、化学肥料など)が必要であり、社会的格差を増大するという側面。またこれに使われる高収量品種は、日本(日本人)が開発したものばかりではないことも。
エネルギーについては、原子力に対しては否定的、将来的には再生可能エネルギーとしているのはその通りだと思う。
終章では、今後の世界に対して日本(日本人)がどう貢献できるかという思いが書かれている。ここは正直違和感があり、日本(日本人)に期待する(期待したい)のはわかるが、その期待があまりにも“情緒”に偏っているということだ。
言葉だけ先行している感のある「人新世」について、総合的に検討しているので、読む価値がある本だと思う。
以下、重箱の隅。
p.84、「図表1.2」をもう一度、とあるが該当する図表がない(たぶん図表1.5)。
p.109、(東西方向の流れにはコリオリの力ははたらかない) → 赤道近くではコリオリの力ははたらかない
p.200、エウロパは、木星から強い潮汐力を受けており、 → エウロパの自転と公転は同期しているから木星の潮汐力ははたらかない(他の巨大惑星の隕石による潮汐力)と思っていたが、完全には同期していないという説もあるようなので、そうすればこの記述は正しい。どうなのだろう。
p.220、2016年、人工ミニマムセル誕生、 → 合成生物ができたことになる。生命の発生を再現したものではないが。
p.281、アメリカ合衆国独立の際、先住民の「自由」と「民主主義」を模倣した → ほんとうかな。
p.288、(人間の必要カロリー)2700 kcalは多すぎると思う。さらに細かいことをいうと、calでなく、エネルギーはJ(ジュール)で統一した方が、他との比較がしやすい。さらに、いろいろなところで容積の単位記号としてクルン・リットルを使っているが“L”の方がいいと思う。
2022年11月記