漂流日本左翼史 理想なき左派の混迷

漂流日本左翼史 理想泣なき左派の混迷1972-2022 池上彰・佐藤優 講談社現代新書 ISBN978-4-06-529012-5 880円 2022年7月

 二人の対談による三部作の第三部。この巻では左翼運動衰退の歴史を辿る。とりわけ社会党の雲散霧消、労働運動の右傾化(最大のナショナルセンターが総評→連合)とその原因を探る。二つは表裏一体の現象だと思う。

 労働運動については、やはり国鉄合理化→民営化、それに対抗すべきスト権スト闘争→反民営化闘争の敗北が大きいと思う。戦後、大勢の復員者を雇用するという役目を持っていた国鉄は、必然的に赤字体質。だから、当時の政権・財界にとっては、戦後処理(庶民の犠牲はあっても資本主義体制の確立を図る)の最終段階という意味があったはず。こうした流れにいかに抗すべきかは、現在から振り返って見ても対応が難しいことだと思う。

 社会党については、内部の協会派問題を大きく取り上げている。ある意味共産党よりも教条的な協会派、とりわけ指導的役割を果たした向坂逸郎の問題を取り上げている。ソ連のアフガン侵攻(1979年)をいち早く支持したのは、彼のソ連信仰、それ以上の東ドイツの神格化があったとしているが、彼の東ドイツの理想化についてはここに始まったのではなく、1960年代からだったことは前巻の評でも述べた、いずれにしても現実からは遊離、ピントがずれた情勢判断だったということになる。

 表層的には、社会党の雲散霧消の原因は「自社さきがけ連立政権」で政権党の一角となり、総理大臣まで出したことだと思う。政権の甘い座に舞い上がり、だが選挙ではそれほどでもない現実を忘れ(少し勝てばそれに酔いしれ、負けても根本的な反省ができない)、どうすればいいのかということを考えなくなったのだと思う。一方の自民党の方は、政権馴れしていて、また選挙に負ければ素直にそれを総括するということができる(政権党を維持することを自己目的化する)、つまり柔軟な、いってみれば融通無碍ともいえるその対応(もっとも、安部派に代表される考えは内部で大きな声で批判できない体制でもある)、前巻の項目の題にもなった「一枚上手な権力」だったということになる。 

 1970年代における共産党内の「新日和見主義」問題については、前巻の評でも触れたが、それ以前の宮本顕治−上田兄弟(上田耕一郎・上田健二郎(不破哲三))の対立の蒸し返しであり、それは2015年の安保法制時のSEALDsへのすり寄りに繋がっていると思う。結局、表面的には党務から引退したとはいえ、いまだ党内に隠然たる力を保持している不破哲三の支持がなければ、現在の志位執行部もああまでSEALDsにすり寄れなかったと思う。つまり、宮本−上田兄弟の確執は、結局(いまのところ)上田兄弟が勝ったことになる。

 色々と違和感のある言動が多い佐藤氏だが、SEALDsに対する評価は共感するところが多い。なかでも共感するのは、「たくさんの大人たちが子供たちに阿った(おもねった)ことです。そういった運動における嫌らしさや狡さのようなものについて、大人たちは噛み砕いて教えなければならなかった…」とあるところ。もっともSEALDsの中核メンバーはそんなこと百も承知、それをも利用したということだったのかもしれない。

 共産党が雲散霧消した社会党にとって代われるかというと、それも難しいと思う。1970年代の民主統一政府とか、民族民主統一戦線(2004年以降言葉としては使わないことになったが否定はしていない)とか、とりわけ“民族”を強調するところに反発すら覚える。本来は“民族”の枠を取っ払うべき政党のはずなのにという意識がある。もちろんこうしたことの背景は、彼らの二段階革命戦略(日本はアメリカの従属湖だから、まずアメリカに対して独立国家になる)に基づいていて、これはもう現実離れしすぎている。

 ただ、元総理の“国葬”に対して、組織的な反対運動を全国的に繰り広げているのは共産党だけという、厳しい現実もある。しかし、先日駅前の彼らの集会に出くわしたが、そのみごとなまでの高齢化に、こちらまでもが愕然としてしまった。共産党の一番の問題はここだろう。ただ、若ければいいというものでもなく、池上氏がNHKの記者時代に「共産党宣言は読んだことがありますか。」と聞いた衆院選挙初当選の若い議員が、「これから読みます。」と答えたというエピソードを紹介しているが、これはこれで共産党も大変だなぁと同情するところはある。

 今年2月に始まったロシアのウクライナ軍事侵攻は、左翼政党や左翼的インテリゲンチャーにとっての試金石になっている。多くは、それぞれの利害で動いているにしか過ぎない「国家(政府)」間の交渉・仲介に期待したり、あるいは現実的な力を持たない(かつての日本の天皇が乱発した院宣的声明すら出せなくなっている)国連に下駄を預けたりとか、目を覆わんばかり。なぜ、「戦争に反対する世界中のすべての皆さん、団結しよう!」という声が出てこないのだろうか。

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2022年11月記

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