激動日本左翼史 学生運動と過激派 1960-1972 池上彰・佐藤優 講談社現代新書 ISBN978-4-16-526569-7 920円 2021年12月(2022年1月第2刷)
二人の筆者(対談者)による三部作の第二部目。この巻では、左翼史といっても社会党・共産党、あるは労働運動はほとんど出てこなく、学生が運動のおもな実体を担っていた新左翼史(反代々木左翼史)が中心。じっさい、運動の高揚時は旧左翼(既成左翼)の影は薄かった(足を引っ張る存在)。
ここで記述されている共産党の右往左往史は、共産党員・根っからの支持者には反発を覚える記述だろうが、目は通してもらいたい。ともかく“無謬神話”というか、肝心なことを決めなくてはならないときは「幹部が不在だった」史を止めないと、信頼も得られないと思う。
※ 根本では日本共産党の日本はアメリカの従属国という認識が、いろいろな判断の迷い・間違いを生む原因だと思う。資本主義国間に“力”の差があるのは当然なので、彼らのいう「従属」は、程度の差はあるがどの国の間にもある。
高校生だったころ、ベトナム戦争が激化、アメリカ軍が直接の軍事介入を始めた(1965年から本格介入)。米軍の補給兵站基地が高校近くにあり、校庭の真上の低いところを迷彩色を施した巨大な輸送機が飛んでいて(大江健三郎の「死者の奢り」も現実味があった)、日本が戦争に荷担しているという実感があった。デモに参加する同級生もいて(運動靴を履いて登校したら、これからデモに行くから靴を貸してくれとか)、自分も少しは考えなくてはならないと思った。という口実で勉強しなくなった。
都立高校といっても”田舎”の学校だったし、大学も地方だったので、それなりの嵐は吹いたが(当時の自分にとっては大嵐、たしかにいつ生まれても年代的に疾風怒濤の世代ではあるが、あの時代は今になって振り返えってもやはり突出していたと思う)、無事に乗り切れた。
※ 都立の伝統校の中には、いまだそのときの対立(革マル派 vs 中核派)のしこりが残っていて、同期会・クラス会が開けないと、同じ年代のその学校の卒業生から聞いたことがある。
※ 池上氏は労農派マルクス主義経済学を学びたくて、その基準で大学(慶応大学)を選んだという(入った慶応大学にはそのような教授はいなかったそうだが)。個人的には、労農派の代表的指導者の一人(三井三池争議を指導)向坂逸郎の東ドイツ神格化(岩波新書「資本論入門」?、当時既に東ドイツの負の面は伝わっていたと思う)を読んで、労農派も現実が見えていないなと思った記憶がある。結局これは、赤軍派の北朝鮮逃亡、さらには日本赤軍のPELP参加と同根。
ということで、あの時代の一部は経験しているが全体像はつかめない。たぶん対談している二人も、自分が経験したところはそれなりに知っていると思うが、やはりその経験に引きずられて全体像は未だつかめていないと思う。二人とも歴史家ではないし、記憶違いもあるだろうし。
いずれにしてもあのときの完膚なきまでの敗北が、今日の日本の否定的な現実を生むことに繋がったのは間違いないと思う。具体的には殺人にまで至る“内ゲバ”が、一般大衆の左翼からの遊離の原因になったのだと思う。この本では「日本人を『総ノンポリ化』した新左翼運動」と表現し、また逆に「『一枚上手』な国家権力」とも表現していて、表層的には当たっていると思う。ただ、「一枚上手な国家権力」も、一時は一人当たりGDP世界2位となったころが絶頂で、現在の日本の衰退をどう捉えているのだろう。
2022年11月記