ロシア革命 破局の8か月 池田嘉郎 岩波新書 ISBN-978-4-00-431637-4 840円 2017年1月(2020年9月5刷)
1917年の2月革命から10月革命までの激動の8ヶ月。ものすごい数の登場人物。ボルシェビキはまだ主役ではなかったはずなのに、いつの間にか大衆の支持を集め、権力奪取に成功する。
2月革命の犠牲者は、トロツキーによれば1443人、うち889人が軍人(つまり大衆は554人)、さらに将校が60人だったという。歴史的な大転換の一歩としては、少ない犠牲だったといえると思う。
さらに7月危機でも700人以上の死傷者が出ている。10月革命での数字は出ていないが、ほとんどいなかったと思う。それだけあっという間のボルシェビキのヘゲモニーが確立した、大衆が圧倒的に支持した結果だと思う。つまり、武力に訴える必要がなかった。
この本では、膨大な数の登場人物(覚えきれない数、もちろん人名索引はある)の動きを追い、低い目線で2月から10月までを駆け足で紹介する。上に書いたように、まだボルシェビキの指導者たちはあまり出てこない。
でも、4月に亡命地からドイツの黙認(当時の戦争相手国ロシアを混乱させたい思惑)でレーニンが戻ったことが大きいし、さらに一匹狼トロツキーがボルシェビキに合流したことも大きかったと思う。ただ、この本では、10月革命自体をクローズアップするものではないので、彼らについての記述は少ない。でも、二人の主導で10月(22日〜)25日・26日の一連の流れが決まったことに間違いはない。当然スターリンも少しだけ、でも不気味に登場するが、まだトロツキーのライバルではあり得ない小さな存在。
この本の性格からしてやむを得ないが、なぜこの流れの中でボルシェビキが、そしてレーニンやトロツキーが大衆の支持を集めて権力を握ることができたのか(バレバレの蜂起に成功したのか)、それについてはあまり書かれていない。そして、理想に満ちたはずの10月革命で権力を握ったものたちが、なぜ大衆を抑圧する存在になっていくのか、その萌芽はトロツキーの言葉を引用して少し示唆するだけで、どこに理想が破局する根拠があったのかについても触れられていない。
筆者は1971年生まれだという。もう2月革命や10月革命はもちろんん、1956年ハンガリー動乱も、さらには日本での1960年安保闘争、そして60年代後半から70年代初めにかけての大学が混乱した時代、すべて彼にとっては歴史的な過去、そうした人がこのような本を書いたということも興味深い。
それにつけても、10月革命ではレーニンと同じような役割を担ったトロツキーを、ソ連共産党をはじめ各国共産党(日本共産党を含む、1982年に当時の幹部会委員長不破哲三が“一定の役割”を認める(以後、公式文書では“トロツキスト”という言葉は使わなくなる)、エライ人たちだけがトロツキーの著書を読めたようだ、一般党員が読んでいたら大変)は完全に抹殺する(レーニンと一緒に写っていた写真を修正するまでして)という、明らかな歴史改ざんを行ってきた。これでは反?・自虐史観の人たちの”臭いものには蓋”主義と五十歩百歩だと思う。
著者はフリーメーソンの役割をいいたいようだが、フリーメーソンがどの程度のものなかよくわからない。そもそも、フリーメーンのメンバー同士としても、政治的にはいろいろな考えの違いがあったようだし。
目次
はじめに――運命の年、一九一七年
第1章 一〇〇年前のロシア
1 ニコライ二世の御世/2 世界大戦下のロシア
第2章 二月革命――街頭が語り始めた
1 革命の始まり/2 ロマノフ朝の運命
第3章 戦争と革命
1 革命政権の出発/2 臨時政府対ペトログラード・ソヴィエト/3 四月危機
第4章 連立政府の挑戦
1 連立政府の発足/2 革命議会の不在/3 民衆の動向
第5章 連邦制の夢
1 諸民族のロシア/2 二月革命と帝国
第6章 ペトログラードの暑い夏
1 七月危機/2 あらたな連立を求めて/3 モスクワへ! モスクワへ!
第7章 コルニーロフの陰謀?
1 高まる緊張/2 衝突
第8章 ギロチンの予感
1 ボリシェヴィキ復活/2 民主主義会議/3 第三次連立政府
第9章 十月革命
1 危機のロシア/2 十月革命
エピローグ
おわりに――ロシア革命と現在
人名索引
2021年7月記