長崎丸山遊郭 赤瀬浩 講談社現代新書 ISBN978-4-06-524960-4 1,200円 2021年8月
長崎の丸山遊郭は、江戸・大坂・京都など大都市の遊郭といろいろと違う。もちん遊女にとって10年(かそれ以上)の契約に縛られた苦界という点は同じだが、閉じ込められた篭の鳥というわけでもない。表紙の帯にあるように一種の地場産業、鎖国時代唯一海外(中国とオランダ)に開かれた貿易港、その利益は何もしなければ頭の上を素通りして大坂などの大商人とオランダ人・中国人(唐人)との間でやりとりされるだけ。そこで、オランダ人・唐人、富裕商人などに、できるだけお金を落としてもらうというシステムができあがる。
なので、遊郭の遊女は市内や近郊から集められ、オランダ人・唐人を客とする場合は出向かないとならないということもあり(オランダ人は出島、唐人は唐人町から出られない)、遊郭内に閉じ込めるということができなかった。だから、遊女になっても実家との行き来が途絶えることはなく、実家の親が病気になったら看病に出向いたり、また、あまり酷い状況(厳しすぎる折檻)があれば実家に逃げ帰るということも可能だったという。
ただやはり、遊女は貧しい家の出が多く、年季が明ければ実家に戻り、結婚して子供を産む(これは当たり前だった)、その子供が女の子であればまた遊郭に出すというサイクル、それで生計を成り立たせている遊女の供給源=貧民層があった。でも、うまく遊女にした娘が上客、とくにオランダ人や唐人の上客をつかめば、莫大なプレゼントをもらえて(ラクダをもらった遊女までもいた)、実家もそのおこぼれに預かることもできたという。もっとも、オランダ人・唐人相手の場合は、挙げ代が奉行所が定める“公定価格”によって決められていて、それそのものは丸山遊郭内での挙げ代よりもかなり割安になっていたという。オランダ人・唐人にともかく長崎内でお金を使ってもらうという政策。
江戸時代を通じた唯一の貿易港、そこで得られる莫大な関税を全住民に平等に分配する仕組みとして竈(借家人には竈銀、持ち家主には箇所銀)という制度があったということは初めて知った。ミニマム・インカム制度の走り?
だが、開国により長崎の国内における独占的な地位がなくなると、長崎港を通じた貿易も少なくなり(もっとも幕末にはやってくるオランダ船も、年に一隻になっていたという)、丸山遊郭はあっという間に寂れていくことになる。
この本では細かい資料も紹介し、実証しながら話が展開していく。そのなかで、人別帳(踏み絵帳というのが長崎らしい)の記録も紹介されていくが、少なからぬ人が忽然と行方不明になっている。たんなる家出か、犯罪に巻き込まれたのか、数年後に戻ったりした人もいるので、これも不思議だと思った。
目次
序章 長崎に丸山という所なくば…
第1章 遊郭とは
第2章 丸山遊郭とはどんな場所か
第3章 長崎丸山の遊女たち
第4章 海を渡ってくる「お得意様」 唐人と遊女たち
第5章 ラクダをプレゼントされた遊女 出島のオランダ人と遊女
第6章 丸山遊女の事件簿 「犯科帳」の中の遊女たち
第7章 遊郭に出る女、帰ってくる女
第8章 丸山遊郭のたそがれ
あとがき
資料 表:桶屋町遊女の年季奉公
註および参考文献
2021年10月記