藤原定家『明月記』の世界 村井康彦 岩波新書 ISBN978-4-00-431851-4 880円 2020年10月
明月記というと条件反射的に“かに星雲”となる(※)人が多いだろうが、この本ではかに星雲や天文のことは書かれていない。
筆者はもちろん、定家が天文に興味を持っていて明月記にもいろいろ書いていることは重々承知、でも、新書という限られたページ数で優先したのは、定家個人のこと、宮中で暴力事件を起こしたり、うわべでは官位を望まないようなことを書いていても、実際は官位に執着したりとか、長男である光家(最初の妻との子、超まじめな性格、それなりに出世、でも出家)よりも、歌の才能を認めた為家(二番目の妻との子)を溺愛(じっさい超スピード出世)したりとか、また人付き合いが苦手(明月記の中での他人への罵詈雑言)とかなど、少し人格破綻気味の定家が書かれている。姉の龍寿御前や健御前とは仲がよかったようだ。
娘の因子も溺愛していたようで、出仕のときの衣装揃えなどでの金銭面の苦労も書いている。当時の貴族の収入はどうだったのだろう。どの程度のものだったのか、私領は与えられているようだが、実際のところ。禄みたいなものはなかったのか。この辺はこの本でもよくわからない。知行経営も、地頭のためになかなか大変だったということはわかった。
緻密に考察しているのは、定家の住居(何回も転居している)がどこだったのか、あるいは出所・退所の時にどういう経路だったのかなど。まったり生活していたというイメージの強い貴族だが、結構忙しく、またいろいろと立ち寄る先もあったようだ。1日で20km以上動くのも当たり前の生活、もちろん徒歩だけではなく牛車や騎馬などで。
歌の才能は後鳥羽上皇にも認められていたが、政治的にはあまり重きを置かれていなかったようで、結果として承久の変(1221年)に際しても、あまり関係しないですんだようだ。
もう一つ、当時の京の貴族たちは結構鎌倉幕府要人との姻戚関係があり、じっさい息子為家の妻の母は北条時政−牧方の娘で、牧方自身が定家の妻とも昵懇の間だったらしい(定家の知らないうちに会ったり)。また、この牧方の上京(1226年)は京・奈良で行う時政の13回忌のためで、一人(もちろん従者はいただろうが)だったという。もう、鎌倉〜京都の女性の一人旅ができるほど治安がよくなっていたとわかる。
筆者は1930年生まれ、つまり2020年時点で90歳。よくこれだけの本を書いたと感心する。「新版ウイルスと人間」(岩波科学ライブラリー)の山内一也氏も89歳だったし。すごい人たちがいるなぁという感想。定家の人格破綻面をつらつら書いているのにも関わらず、伝わってくるのは筆者の定家Love。
※ 藤原定家(1162年〜1241年)、明月記(日記、備忘録、行事などの際の用具・行動目録=先例主義の貴族にとってはとても大切なこと)は1180年〜1235年(途中欠損あり)の記録。かに星雲の超新星爆発は1054年なので、この超新星自体を定家が目撃したわけではなく、陰陽師に客星(見慣れぬ星)の記録を問い合わせた結果の一つ。定家自身は1230年の彗星は実際に見ているようだ(これによって客星に興味を持つ)。
2021年1月記