高地文明 山本紀夫 中公新書 ISBN978-4-12-101647-7 1155円 2021年6月
筆者は世界史の教科書に出てくる大河のほとりに発達した“四大文明”は根拠が乏しいと主張し、また穀物の栽培が文明を産んだという通説にも疑問を投げかける。そして、四大文明とは独立に、メキシコ、アンデス、チベット、エチオピアにも古代文明はあった、しかも大河のほとりではない、さらに穀物でないもの、例えばイモなどを栽培することによって多くの人口を支えていたと主張する。筆者の強みは徹底した現地調査を行って、自説の裏付けをとっていくところだ。
高地でも緯度が低いところなら(低地では暑すぎる)、気温・湿度は快適で、伝染病を媒介する蚊などもいないので、あとは食糧が供給できれば、多くの人口が支えられるはずだという。
たしかにメキシコ、アンデスはヨーロッパ人に征服されるまで、古代から続いてきた文明があった。
このあたりは興味深い。すなわち人類がベーリング海峡を越えのがいつかもよくわからないが、2万5千年前〜2万年前ころだろう。さらにそこから南下して南アメリカ北部が1万8千年前〜1万5千年前ころ、南アメリカ南部には1万年前ころといわれている。
メキシコあたりでは紀元前5千年ころから、トウモロコシやカボチャの栽培が始まっているという。そして紀元後くらいから、栽培植物が主食になっていくという。日本でもすでに弥生時代なのとりわけ古いわけではない。ただ、テオティワカンなどは6世紀頃に人口15万〜20万人だったという。世界的に見ても当時の巨大都市。トウモロコシがこの人口を支えていたようだ。ずっと時代を下った1500年ころのテノチティトラン(メキシコシティ)の人口は20万人〜30万人だったという。
アンデスではとくにジャガイモを強調する。標高が高く寒暖の差が大きい(マイナスにもなる)を利用してつくる乾燥ジャガイモ(チューニョ)にすれば、軽量かつコンパクト、そして長期保存もきく重要な食糧となり、これがアンデスを支えたと。
インカの首都クスコは標高3400 m(マチュピチュ(2400 m)はインカの都市の中では標高が低いところらしい)のところに、最盛期は20万人の人口を抱えていて、それを支えたのがトウモロコシではなく、ジャガイモだったという。実際、現在でもそのあたりにはジャガイモを主食としている人たちがいるそうだ。
ただ日本の学会では、とくに戦後間もないころの大物たち(江上波夫氏たち)は、「イモなんか食って文明ができるか。」という、ある種の偏見があった、それは戦争中の苦い経験、イモで満たした経験がそうした偏見を生んだのではないかというのが、筆者の思い。 いずれにしても、この“新大陸”由来のトウモロコシ、ジャガイモなどが現在の世界の人口を支えるのに、大きな役割を果たしているのは間違いない。
これに対して、チベットやエチオピアはどうか。独自の文明というには少し足りないと思う。確かに宗教面ではチベット仏教があり、その壮大な寺院もある。ラサのような大宮殿もある都市もある。でも、仏教はインド由来だし、昔から中国の影響も強かったようだ。
エチオピアも独自のキリスト教文化とそれを背景とする王国(と都市)もあった。たしかに人類の発祥の地の一つかもしれないが、それとは直結しないだろう。それよりも古来から、エジプトやアラブの影響を多く受けてきたのではないだろうか。
つまり、チベットやエチオピアは古くからかなり多くの人が住んでいて、しかも農耕によってその人口を支えてきたのだろうが、一つの文明圏というのには少し弱い気がする。こうした場所は、ほかの低地ならいくつかあると思う。
現代社会は、ヨーロッパの大航海時代の後の世界となっていて、昔から交流のあった“四大文明”はその元になったという側面がある。一方、メキシコやアンデスは独自の高度な文明があったことは確かだが、いかんせんヨーロッパに滅ぼされてしまったわけで、その文明は途切れてしまっている。もちろん、トウモロコシやジャガイモは現在の世界を支える重要な食糧だし、さらにはトマトなども欠かせない食材、あるいはゴムなども現代社会には欠かせない素材であることは確かだが。
目次
まえがき
第1章 歴史教科書の記述は正しいか
第2章 「高地文明」の発見に向けて
第3章 「それは雑草から始まった」
メキシコ中央高原に栄えた石器文明
第4章 ジャガイモが産んだアンデス高地の文明
ティティカカ湖畔にて
第5章 高地文明としてのインカ帝国
天空の帝国が産んだ文明
第6章 チベットの高地文明
チンコーとヤクとチベット仏教
第7章 もう一つの例
エチオピア高地の文明
終章 「大河文明」説の見直しにせまる
あとがき
注
主要参考文献
2021年8月記