慶長遣欧使節

慶長遣欧使節 佐々木徹 吉川弘文館 ISBN978-4-642-15931-2 1,800円 2021年9月

 あの支倉長常の使節団。だいたい太平洋−メキシコ−大西洋という旅程を知らなかった。背後にスペイン出身のフランシスコ会修道士・司祭のソテロがいた。ちょっと野望に満ちた怪しい人物。たしかに当時メキシコはスペイン領だったから、彼と一緒ならこちらの経路のほうが、イギリスやオランダ、ポルトガルと競合しないのでいいかもしれない。当時ヨーロッパに行くなら、東南アジア−インド洋−(喜望峰)−大西洋経由という思い込みがあった。

 慶長13年10月(1613年、関ヶ原の13年後、大坂冬の陣の半年前)に仙台(港は特定されていない)を出帆。仙台藩士10名、江戸幕府関係10人(江戸幕府の半公認)、その他総勢180人ほどだったという。

 3ヶ月かけて太平洋を横断メキシコ西海岸に到着(メキシコで待つ人たちもいる)、6月10日に東海岸を出発、ハバナ経由でスペインに着いたのが10月5日。さらに旅はセビリア(一部日本人は残り定住、子孫も?)−マドリード経由、ローマに到着したのが10月25日。出発して1年以上かかった。長常はローマで先例を受ける。

 経由地の市や、目的地のローマではいろいろと歓迎されたらしい。ヨーロッパらしく、その滞在費等をどこが負担するか(市か国か)という契約がきちんと残っているらしい。

 遣欧使節団の目的は、貿易に関する交渉だったが、これは果たせない結果となった。伊達政宗は貿易推進派だったようだが、幕府の方針がキリスト教禁止へと動いた時代。その情報は使節団よりも早くローマに届いていたようだ。ソテロは、伊達政宗こそ次の日本王と売り込んだみたいだが、伊達政宗の野望を見据えていたのか、ソテロの方便か。

 1616年、ローマを出発、再び大西洋−メキシコ−太平洋横断してマニラへ。マニラで2年。当時はまだあった便船で日本に戻ったのは1620年。足かけ7年の旅となった。すでに、日本はキリスト教は御法度、それでも長常は信仰を守ったようだ。それでも2年後には死亡。のち、支倉家は断絶。一緒に行った仙台藩士の中には、棄教せずに追放処分になったものもいた。

 惜しいのは、旅行中の長常の日誌、明治維新後に仙台藩から引き継ぎ、宮城県庁の倉庫にあったらしいが、行方不明だという。当然そこには、航海の様子、陸路の様子、そして彼が見聞きした西洋事情などが書かれていただろうに。

 結局、長常たちの旅は、通商交渉が成立しない、壮大なゼロということになった。

 

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2021年10月記

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