廃仏毀釈 畑中章宏 ちくま新書 ISBN978-4-480-07407-2 800円 2021年6月
筆者は廃仏毀釈は、巷でいわれているような「仏像・仏具を破壊した乱暴狼藉ではない」と強調し、再三繰り返しているが、全体を読むと至る所で、「仏像・仏具(さらには寺院そのものも)を破壊した」実態が浮かび上がってくるという矛盾した記述。そもそも外来イデオロギーである仏教が、倭由来の神々よりも上位(本地垂述)だったなんて、攘夷派の知識人にとっては、耐えられなかったことだろう(押しつけ憲法という感じ?)。
問題は、筆者も指摘しているように、民衆がどこまで明治政府の「廃仏毀釈」を支持していたか、これは確かに微妙だと思う。お寺や仏像を破壊するために積極的に動いた神道派(神官など)と違って、動員された農民・職人たちがどう感じたのか、それまで支配者として振る舞ってきた寺院に対する反発があったのか、あるいは仏罰(たぶん神罰とも混同)をおそれてびびっていたのか、それを解明する必要があると思う。
でも、これまでなんとも思わなかった八王子という地名が、牛頭天王(神仏混淆の代表、天王の読みが天皇と同じで明治政府からさらに忌避される、でも天王の地名はいろいろなところで残っている、天王洲アイルなど)由来の八王子だったとは。その牛頭天王は、アマビエと並びコロナ禍でも話題になったワタベとも関係するような気もする。
高尾山の薬王院は当初、薬師如来を本尊としていたが、現在は真言宗智山派の大本山であり、本尊は明治政府からは忌諱された神仏混淆の飯縄大権現である。権現は廃仏毀釈で否定されたはずなのに、薬王院でなぜ残ったのだろう。高尾山薬王院はいまでも神仏混淆が色濃く残っていて、至る所に鳥居がある。
地元調布市の深大寺や祇園寺も、周辺の神社と深い関係だったようだ。青渭神社、佐須神社、琥珀神社など。明照院と糟嶺神社などはいまでも一体になっている。
中国四川省を旅したとき(2005年)、遙か北京から離れた辺境といってもいいところのチベット仏教寺院が、ほとんど跡形もなく破壊されていたのを見た。文化大革命時の紅衛兵による所業ということだった。また、タリバーンのバーミヤン大仏の破壊などもあった。でも、同じような“蛮行”が150年前の日本でも行われていた、さらに第2次大戦中はお寺の釣り鐘なども金属資源として供出させられたということを考えると、文化遺産の継承と、時の社会情勢、人の心理の関係は難しいと思った。
2021年7月記