目撃天安門事件

目撃天安門事件 加藤青延 PHPエディターズグループ ISBN978-4-909417-46-6 1,300円 2020年4月

 筆者は1989年6月4日前後、当時NHKの北京駐在員として、事件を間近に見ることになった。その体験を後世に伝えたいという執念の書。

 基本的には天安門事件も党内党派分派党争であったというところは、この事件の遠因ともいえる文化大革命と同じ。ただ、天安門事件の発端は、権力を握り続けている中国共産党−官僚組織の腐敗、強権的な権力行使・弾圧に対する学生を中心とする若い層の怒りがあったことだ。毛沢東−劉少奇という党内党派分派党争において、初めから子供ともいえる若い人たちを利用した毛沢東による紅衛兵動員とはそこが違う。趙紫陽が北朝鮮訪問中に、党内多数派工作が行われたというのは、従来通りの手法。

 当時の共産党幹部、とくに文革を生き残った古参幹部だって、若いころは学生運動をやっていたはずだ。そうした若き情熱を忘れて、党内での生き残り技術だけが長けてしまった老醜をさらすことになる人もいる。毛沢東と対立して2回失脚したケ小平、改革を売りにしたケ小平も、結局は毛沢東主義者だったことがあらわになった。

 天安門事件に関わる主要人物の図はわかりやすい(3枚目)。ただ、万里が改革派・民主派というのはどうだろう。たしかにそういう期待はあったが、結局は趙紫陽を支えることなく、カナダから戻った後は保守派に同調する(5月27日)。

 趙紫陽の犯した最大の罪は、“国家機密”を当時中国を訪問していたソ連(当時)のゴルバチョフに漏らしたことだという。その機密は「(党中央委員会で)最も重要な問題については、依然としてケ小平同志の舵取りが必要であることを厳かに決定した。」だそうだ。まあ、旧ソ連時代の小話、「「フルシチョフはバカだ」と叫んで周り、ただちに逮捕され、23年の刑に処せられました。党の書記長を侮辱した罪で3年、国家機密をもらした罪で20年。」を彷彿とさせる。

 この本の目玉は、あの戦車男(6月5日)が”やらせ”だったという主張だ。前日の暗い夜中における銃・戦車までを駆使した強権弾圧とは違い、白昼堂々、しかも大勢の外国メディアのいる前での行動、きれいな白いシャツを着ていた、その後の消息が不明、「戦車が人をひかなかったことが重要」という党宣伝部が漏らした言葉などを根拠としてあげている。確かにその可能性はあると思う。

 趙紫陽のはもちろん、李鵬の回想録も香港に原稿が持ち出されて出版されたという。もう香港では、こうしたことはできなくなるのだろう。

tenanamonjiken-01467.jpg (136866 バイト) tenanamonjiken-02468.jpg (127980 バイト) tenanamonjiken-03469.jpg (229534 バイト)

2020年6月記

戻る  home