中華の成立(唐代まで(シリーズ中国の歴史(1)) 

中華の成立(唐代まで) 渡辺信一郎 岩波新書 ISBN978-4-00-   431804-0 840円 2019年11月

 全5巻になる予定の中国通史。ただし、王朝の交代を述べるのではなく、おもに社会制度の変遷をたどる。20世紀初頭まで中国には王朝名はあっても、国名はなかったそうだ。初めて「中国史」としたのは歴史梁啓超(りょうけいちょう、1873〜1929)らしい。かれは「中国・中華といえば自尊・自大」と少し恥ずかしがっているが、国民党も共産党も選んだ言葉は“中華”だった。そして、現代中国の支配者(北京政府)は、まさに言葉通りの“中国””中華”を意識して、実現しようとしているようだ。

 それはそれとして、中国社会の制度・仕組みを確立して後世に強い影響を及ぼしたのは、あの毛沢東も認めた秦の始皇帝。そしてこの意味で最近評価が高い新の王莽だろう。王莽は漢王朝を中断させた人物なので、彼を歴史書に書いた後漢の史官は当然大悪人というイメージで描いている(班固の後漢書)。渡邉義浩の本でも王莽の評価は高かった。王莽は制度ばかりではなく、儒教的支配イデオロギーを確立したという点でも、その役割は大きいと思う。この本では思想・宗教・文学・藝術(ママ)の分野にはあまり触れないということなので、こういう面についてはあまり描かれていない。

 もう一つ、中国の支配システムで重要なのは、とくに知識人を体制内に取り込むことの大きな役割を果たしたと思われる、“科挙”(隋の煬帝のころに整備)ついていは、軽く触れられているのに留まる。

 中国の軍制は、欧陽脩(1007年〜1072年)の唐書以来府兵制のみとしてきたが、これは誤りで、中央(南衛禁)軍たる府兵制と、都督府の軍(地方軍−防人制)の二本立てで、後者が節度使のもととなったという。筆者はこれを「いまや千年の誤解から解放される秋(とき)である。」とわざわざ秋に“とき”というルビまで振っている。よほど強調したいのだろうか。

 また、律令礼の他に楽も支配制度に取り込まれていて、これが日本では雅楽になるという。

 さらに、遣隋使・遣唐使を通じて当時の日本支配者(知識人)たちが真似た公地公民(均田制)や納税システム(租庸調)はじつは誤解だという。均田ではなく差のある給田だったこと、租庸調はもともとは租調役(賦役制)だったと強調する。つまり賦役が基本で、当時の文書にはそれを代替するものはない(庸を“絹”で代替することはなかった)という。役の大半は租税物資の輸送、とくに辺境地域への輸送は兵站を兼ねていて、これが当時の農民にとっては一番の負担だったという(給田からの逃亡の理由)。租庸調という誤解はすでに宋代の中国から始まっているそうだ。

 ということで、おもに制度の変遷を述べている本なので、英雄たちが活躍する活劇場面は出てこない。

 

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目次
いま,中国史をみつめなおすために――シリーズ 中国の歴史のねらい(執筆者一同)
はじめに
第一章 「中原」の形成――夏殷周三代
 一 農耕社会の形成――新石器時代
 二 夏殷周三代
 三 殷周時代の政治統合――貢献制から封建制へ
第二章 中国の形成――春秋・戦国
 一 春秋・戦国の「英雄時代」
 二 小農民社会の形成――百生から百姓へ
 三 封建制から県制へ
 四 商鞅の変法――前四世紀中葉の体制改革
第三章 帝国の形成――秦漢帝国
 一 郡県制から郡国制へ
 二 武帝の時代――帝国の形成
第四章 中国の古典国制――王莽の世紀
 一 宣帝の中興
 二 王莽の世紀
 三 王莽を生みだす社会
 四 後漢の古典国制
第五章 分裂と再統合――魏晋南北朝
 一 漢魏革命
 二 華北地方社会の変貌
 三 西晋――中原統一王朝の再建
 四 五胡十六国と天下の分裂
 五 鮮卑拓跋部の華北統合
第六章 古典国制の再建――隋唐帝国
 一 隋文帝の天下再統一
 二 天可汗の大唐帝国
 三 『大唐六典』の唐代国制
おわりに
図表出典一覧
主要参考文献
略年表
索 引

2020年4月記

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