オランダ文豪が見た日本

オランダの文豪が見た日本 ルイ・クペールス 國森由美子訳 作品社 ISBN978-4-86182-769-3 2,600円 2019年10月

 筆者はオランダでは“文豪”なのだろうが、日本ではほとんど知られていない人。彼が戦乱の中国(ローザやリープクネヒトが現役名で出てくることにびっくり)から日本に渡ったのは1922年春(3月末?)、それから8月(8月末?)まで滞在したときに日本旅行記。もっとも来日してまもなく体調を崩して(パラチフス)3週間神戸の病院に入院していたので、自由に動けた期間は短くなる。地元ハーグのハーグポスト紙の特派員として、妻と共に東南アジアを回ったときに記録(記事)がもとになっている。また、帰国後1年ほどで亡くなっている。

 作家であるということに大変プライドを持っていた人のようで、それも簡潔な文よりも修辞を駆使した文でないとだめだと思い込んでいるようで、読者としてはもっと単純な文でもよかったのにというような文章が多い。また、「日出ヅル國」礼賛の旅行記が多かっただろう当時、それに対する文豪として独自性を出そうとしたのか、またあとがきにあるように体調が優れないときが多かったためか、ネガティブな感想も多い。だが、それは事実を書いている。たとえば舗装道路がなくて移動が大変だとか、それよりも肥だめで発酵させた人の糞尿を畑にまいていて悪臭がすごいとか(これはまだ自分の子供時代にもあった)。さらには自分の家の中はとてもきれいにしているのに、公共の場は汚くゴミが散らかり放題だとか、人々の服装は貧相で、また不潔そうな人が多いとか。

 彼の興味は、芸術・文化に偏っていて、社会に関する描写はほとんどない。だから、当時の社会に対する資料となるものがない。箱根の富士屋ホテル。日光の金谷ホテルに泊まっているのに、当時のホテルの様子もよくわからない。東京の泉岳寺が当時から忠臣蔵ファンで賑わっていたことはわかる。自然についても、日光でのいくつかの滝の記述、あと富士山の遠望程度。

 当時の日本人は「愛情がない」とも思われていたようで(愛情表現がヨーロッパと違うから?)、これに対しては徳冨蘆花の「不如帰」で印象を一変したようだ(ヨーロッパでも共通の嫁姑問題を含めて)。

 また、日本を模倣者とし(昔は中国、当時は西欧)、西洋のような機械文明(煤煙と悪臭で空を汚す)になっていくことを嘆いてもいる(東洋のドイツという評価)。「何を誇りに思っているのか、猿真似をしている、その西洋文明を誇りに抱いていいるのだろうか。」(p.138)などもある。さらに、「この国と国民が〜略〜アメリカと戦争するのだろうか。〜略〜結局は思い上がりすぎ、没落するだろう。〜略〜日本人は一度、苦杯を喫した方がいいのであろう。」(p.186)という記述もある。よほど目に余ることが、当時から既にあったのだろうか。

 スポーツとして相撲が紹介されている。しかし、庭石だらけの庭のようで(ガイドのカワモトが写真マニア)、外国人観光客相手のパフォーマンスのよう。

 吉原見学や芸者接待も体験したようで、敬虔なキリスト教徒らしく、そこの女性たちには同情的な感情をもったようだ。しかし、フェノロサの遺志を継いで日本芸術紹介本を完成させた本の、夫人の文章部分は「女性特有の癖がいたるところに〜奇妙で非論理的な部分」など、無自覚であったのだろうが偏見も垣間見られる。そういえば、夫人同道の取材旅行なのに、夫人側の感想が一つも出ていない。訳者のあとがきに偽装結婚説もあるが、たしかにそうなのかもしれない。

 最後に日本旅行に関する知恵がまとめられている。その中でチップ(心付け)が高いという嘆きもある。たしかに、昔風の旅館でのチップの風習は最近まで残っていたのではないか(そのような旅館の体験がないのでよくわからないが)。

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目次
序章 中国/第一章 長崎/第二章 長崎から神戸、京都へ/第三章 日本史入門/第四章 御所/第五章 桜の季節/第六章 黄金のパビリオン/第七章 木々/第八章 城/第九章 寺院/第十章 入院/第十一章 民間信仰/第十二章 病床/第十三章 スポーツ/第十四章 横浜へ/第十五章 箱根/第十六章 雨の憂鬱/第十七章 東洋美術/第十八章 『不如帰』/第十九章 詩心/第二十章 東京/第二十一章 泉岳寺/第二十二章 日光へ/第二十三章 自然の美/第二十四章 東照宮と地蔵/第二十五章 慈悲の糸/第二十六章 能舞台/第二十七章 文字/第二十八章 不夜城/第二十九章 錦絵/第三十章 帰郷/訳者あとがき

2020年4月記

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