民衆暴力

民衆暴力 藤野裕子 中公新書 ISBN978-4-12-102605-7 820円 2020年8月(2020年9月再版)

 取り上げられている“民衆暴力”は下の目次を参照。序章で紹介されている江戸時代の一揆は、最近の研究である「仁政イデオロギー」(領主は領民(百姓)を保護し、百姓は仁政を施す領主に(領主なら)年貢を納める義務がある)を踏まえた解説である。ただ、最近はこれが強調されすぎている気もする。たしかに、白土三平的イメージ(劇画)は正しくないのかもしれないが、でも実際は、一揆の指導者たちは極刑になっているわけだし、一揆は御法度という大前提があったのだと思う。

 第2章で紹介されている秩父事件も、総裁田代栄助の役割(組織内での位置)を高く評価しすぎていると思う。彼は担ぎ上げられた御神輿で(人望があったのだろう、年齢的にも中年だし)、実際の指導部は若い自由党の流れのインテリゲンチャ(革命と意識している人たち、秩父ばかりは信州からも参加)、そして実働部隊の主力は、娯楽としての博打を通じた農民(当時の松方デフレで逼迫した養蚕農家が多い)や職人たち(博打仲間の“親分”が田代栄助)だった。でも、彼らたちも大野苗吉の駆り出し(オルグ)の言葉「お〜それながら天長様に敵対するから加勢しろ!」とあるように、武装蜂起の意味はわかっていたと思う。

 この本の特徴は、庶民の暴力が為政者側に向けられるばかりか、同じ庶民、もっとはっきりいえば庶民たちが、自分たちよりも“低い”と思っていた人たちにも向けられたことがある、ということにも力点を置いていることだと思う。それは、第1章の新政府反対一揆のなかの、被差別部落(民)に対するもの、さらには関東大震災時の朝鮮人虐殺事件などで、この本の大半を占める。

 明治初期の被差別部落(民)襲撃事件をまとめて紹介した一般書(新書など)は珍しいと思う。そして、この本では関東大震災時の朝鮮人虐殺事件については、2章に渡って概要を述べ、考察している。今日、日本においてもかなりの勢力となっている自尊史観は、こうした件については歴史修正主義、臭いものに蓋どころか、なかったことにしよう史観になっている場合が多い。過去にきちんと向き合えなければ、未来を展望することもできないだろう。

 この本では新書という限られたページ数の限界もあって、戦時中の隣組などを通じた無言の圧力(暴力、これは現在の“自粛警察にも繋がると思う)、さらには戦後の、とくに60年代〜70年代初めの学生運動には触れられていない。
 いずれにしても、庶民が同じ庶民に対して暴力を、それも組織的に暴力を振るった、虐殺もした過去は重いし、きちんと考えなくてはならない事柄だと思う。

目次
はしがき
序章 近世日本の民衆暴力
第1章 新政府反対一揆 近代化政策への反発
第2章 秩父事件
第3章 都市暴動、デモクラシー、ナショナリズム
第4章 関東大震災時の朝鮮人虐殺
第5章 民衆にとっての朝鮮人虐殺の論理
むすび
あとがき
主要参考文献

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2021年1月記

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