孤塁

孤塁 吉田千亜 岩波書店 ISBN978-4-00-022969-2 1,800円 2020年1月

 あの2011年3月11日(以降)、巨大津波と原発重大事故に遭遇して、奮闘した双葉消防本部の消防士たち。当時活動していた125名中、現在も活動している66人からの証言をまとめたもの。すでに59名が残っていないということも重いと思う。

 帯の「きっと特攻隊は、」のくだりは、福島第一原発四号炉が火災という東電からの救援要請を受け(本当は違法らしい)、それに応じて出動する6隊21名を見送るときの状況である。東電側も火災の状況を把握しておらず、高い放射線の場に待機させられていて、結局は放射線量値がさらに上がったため待避ということになる。火災そのものは自然鎮火したが、もしその場で消火活動を行ったら「入ったら出られない(耐火服・防護服、さらに体そのものが汚染される)」という情報は、消防本部側には伝わっていなかったという。隊員たちを指名して送り出した消防長の、「チェルノブイリの二の舞」という恐れが現実になるところでもあった。

 原発の地元消防ということもあり、放射線に対する講習などもあったようだ。だが、その主催者(?)である東電はいつも、そして何回も事故は絶対に起こらないといっていたという。また、放射線で汚染された地域に出動するときはアラームメーターは持って行ったが(警告音が鳴りっぱなしだったという)、被曝量の累積をはかるようになったのは17日以降、またヨウ素剤が配られたのは25日になってからだという。

 まさに孤塁を守った消防士たちの悔しい思いは、自衛隊やハイパーレスキューの活動は華々しく報道されるのに、自分たち地元の消防の活動がまったく報道されないということ。

 後書きで書かれている宇都宮大学清水奈名子氏の「原発事故においても、男性はかくあれ、というものを押しつけられてしまった。」というジェンダーの視点も大事だと思う。一時“戦線”を離脱した渡邉克幸氏の「申し訳なさを一生背負わなくてはならない。」という負い目もそこから来ていると思う。父(夫)を最近亡くて不安な母とまだ社会人になっていない弟妹を支えるべき長男として、また放射線の不安と闘いながら現場に留まった仲間に対して、交錯する思いだったことは容易に想像できる。そしてこれは渡邉氏だけのことでなく、他の隊員たちも同じだったのだろう。

目次

プロローグ

1 大震災発生──3月11日
2 暴走する原発──3月12日
3 原発構内へ──3月13日
4 三号機爆発──3月14日
5 「さよなら会議」──3月15日
6 四号機火災──3月16日
7 仕事と家族の間で──3月17日〜月末
8 孤塁を守る
エピローグ
あとがき
参考文献

 

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2020年2月記

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