ジョージ・オーウェル 川端康雄 岩波新書 ISBN978-4-00-431837-8 880円 2020年7月
何から書けばいいのか、思いは交錯する。
第二次大戦後の“西側諸国”では、さらに日本では、彼の著作、とくに「動物農場」がGHQによって反共プロパガンダとして使われたという。さもありなんとは思うが、自分が彼を知って読み始めたころには、すでにインテリゲンチャー(左派知識人)に対する代々木の圧倒的な支配力はなくなっていたので、忌避されるべき作家ではなくなっていた。ただ、平和委員会と民青に属していた友人は(当時自分が民青同盟員であることを明かすことすら本当はタブーだったはず(幹部以外))、カミュを読んだことで“査問”されたといっていたので、当時の代々木系の、とくに青年組織内ではとうぜんオーウェルは禁書リストに入っていただろう。だいたい、自分の組織の方針・理論に自信があれば、禁書ということすらおかしい、その組織は怪しいということになる。「間違った本」ほど、反面教師として使えると思うので。
たしかに、カミュとは根底で人間を信頼していたという共通点がある。オーウェルの出自は上層中流階級(アッパーミドルクラス、このとき身につけた作法がスペイン脱出のときに役に立つ)で途中まで名門校、イギリスの植民地だったビルマ(現ミャンマー)での警察官体験(→ゾウを撃つ)、ロンドン・パリの貧民街での生活(→貧乏人はいかに死ぬか)、そしてスペイン内乱において反ファシスト(反フランコ)側の民兵組織に参加(→カタロニア賛歌)。それぞれが、帝国主義の矛盾、資本主義内の矛盾、そして”共産主義”(厳密にはソ連共産党とその傀儡のコミンテルン)の矛盾を体験したことになる。これが彼の著作の根源であることは間違いない。
スペインで所属した民兵組織がたまたま”トロツキスト”のPOUMだったことで、現在まで続く共産主義運動の矛盾を目の当たりにしたことになる。前線で狙撃されたが九死に一生を得て(喉を貫通)、バルセロナに戻った彼が目にしたのは、まさに背後から撃たれる世界に変貌したバルセロナだった。ファシスト相手に共に闘っているはずのスペイン共産党(共和国政府の実体)によるPOUMメンバーへの拉致・拷問・粛正、オーウェルはかろうじてスペインを脱出する。
このときの恐怖がその後の彼の生活に暗い影を落とす。パリで出会ったヘミングウェイに、護身用ピストルを借りようとしたこともあったという。第2次大戦後のイギリスでの生活でも、つねに暗殺に対する警戒もしていたという。たしかに、反共プロパガンダの作家として有名人になっていたので、その可能性もあったかもしれないし、メキシコにまで逃げたトロツキーは、スターリンの指示によって実際に暗殺されている。彼が直感的にソ連共産党と関係しているのではないかと疑っていた、イギリス政府関係者の中には本当にソ連のスパイもいたそうなので(イギリス政府の機密文書公開(日本は?)、中にはサーの称号をもらった人もいるという)。
日本共産党が「ロシア革命におけるトロツキーの一定の役割」と評価したのは1982年不破論文(当時幹部会委員長)、それ以後公式には「トロツキスト(トロ)」という呼称は使わなくなったという。学生時代に、トロツキスト(トロ)と叫ばされていた人たち、当然トロツキーを読んだこともない人たちは、こうした一編の論文での態度変更をどう思ったのだろう(幹部になれば「禁書」も読んでもよいことを不思議に思わなかったのだろうか)。いずれにしても、不毛なレッテルで多くの人が傷ついたわけだ。
1984年から36年の現在、隣の超大国ではまさにビッグプーさんによる支配が行われている。オーウェルが描いたテレスクリーンは現実のものとなっているし、「愛情省」による”教育”もそうだ。「真理省」による歴史改善はつねに。オーウェルの根底における人間信頼の未来を信じるしかないのか。
残念ながらオーウェルの著作はすべて断捨離してしまっていた。図書館行けば当然あるだろうから、まあいいか。
目次
はじめに
第1章 植民地生まれの奨学金少年 1903-1921
第2章 イギリス帝国の警察官 1922-1927
第3章 パリとロンドンで落ちぶれる 1927-1934
第4章 葉蘭とディーセントな暮らし 1934-1936
第5章 北イングランドへの旅 1936
第6章 スペインの経験 1936-1937
第7章 ファシズムに抗って 1937-1939
第8章 空襲(ブリッツ)下のロンドンで生きのびる 1939-1945
第9章 北の孤島にて 1945-1947
第10章 『一九八四年』と早すぎた晩年 1947-1949
終 章 1949-1950
ジョージ・オーウェル略年譜
あとがき
人名索引/主要文献/図版出典一覧
※ 最後の人名索引は便利
2020年8月記