遙かなるチベット

遙かなるチベット−河口慧海の足跡を追って 根深誠 中公文庫 ISBN4-12-203331-4 1,048円 1999年1月(2007年4月再版) 原本は1994年山と渓谷社

 慧海(えかい)は1897年から、当時鎖国をしていたチベット入国を試みていて、1900年(明治33年)にネパールのマルファから北に向かいチベット潜入に成功、当地で仏教の勉強をする。日本人だとばれる恐れが強くなってきた1902年にチベットを脱出して、1903年に帰国。当初はチベット潜入が信じてもらえないほどだった。のちの、1913年〜15年にもチベットに行っている。

 筆者は1992年に、慧海の「西蔵旅行記」ではぼかして書いてある、第1回目の潜入路を現地で探る。当時、病身(帰国後十二指腸潰瘍だったことが判明)をおして、ようやく外国人にも門戸を開いたムスタン王国(ネパール、カリガンダキ川の北部)に入る。明治大学山岳部時代に培った、現地の人たちの協力も得ながら、そこからさらに中国との国境に迫る。チベットから徒歩で亡命してきたチベット仏教の僧侶たちにも出会ったりする。

 現地の風景、風俗の描写も多い。当時のムスタンは慧海が”淫靡と称して嫌った開放的な性風俗が、まだ筆者の行ったころには残っていたようだ。また、一妻多夫(二夫)の風習も残っていて、筆者の案内人もそうだったようだ。また、中国の西蔵侵攻の影響もまだ残っていて、後のチベット訪問(カイラス、この本ではカン・リンポチェなどを巡る)でも、その光景が描かれている。

 肝心の潜入ルートについてはあっさり、慧海が書き残した越境してすぐにあったという二つの湖から推理していく。ただ、推理の過程で出てくる地名がどこなのかわからない。この本の最初に載っているネパールの地図ではおおざっぱすぎて地名はわずかして出ていないし、google mapでも該当する地名は少ない。本に出てくる東経80°20′、北緯29°30′あたりという情報をたよりに、google earthで見るとたしかに円形と長方形の二つの湖が見える。このあたりか? カリガンダキ川源流よりもかなり西よりになる。ネットで潜入路をみると、たしかにネパール−中国国境の西側で潜入したような図が多い。いずれにしても、この本では、せっかく潜入ルートを特定したというのだから、もっと詳細な地図を付けて欲しかった。

 慧海がチベット潜入前に潜んで機会をうかがっていた、ネパールのマルファに行ったことがある。どのくらい訪れる人がいるのかわからないが、それでも慧海が潜んでいた家(部屋)が博物館になって公開されていた。
https://www.s-yamaga.jp/ryoko/nepal2012/mar24/nepal-mar24.htm

※ 筆者が推定したマリユム・ラ(マリユム峠)越えは結局間違っていたようです。新しく発見された資料により、クン・ラ越えで確定しているようです(下のサイト参照)。中国のチベット”解放”以前は、かなり自由にネパール−チベットの往来ができたようで(チベット仏教圏)、5000mクラスの峠道もきちんと整備されていたそうです。
https://www.kyoto-bhutan.org/pdf/Himalayan/016/Himalayan-16-234.pdf

目次
プロローグ 92年前の旅人
第1章 ムスタン王国へ タカリー族とムスタン王国に見る現代のネパール
第2章 トルボ探訪 河口慧海のチベット潜入経路を探る
第3章 聖山カン・リンポチェ チベットの聖地を尋ねる
エピローグ 輝き続ける慧海の魂
鼎談(川喜多二郎・江本嘉伸・根深誠)
あとがき
解説
※ 最後の鼎談で川喜多二郎が甥のところで見たと記憶していた、でも行方不明になっていた慧海の日記が、姪のところで見つかった。上のサイト参照。

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https://www.yamakei-online.com/yama-ya/detail.php

2020年4月記

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