江戸参府紀行

江戸参府紀行 ジーボルト 斎藤信訳 平凡社東洋文庫87 1,200円 昭和42年8月(昭和53年7月初版第18刷)

 シーボルトはここでは発音が近いとしてジーボルトになっている。彼が心待ちにしていた江戸参府は、商館長スチュルレルにとっては楽しいものではなく、経費削減を求められている中、儀礼的(高官に会うときのなど)で苦痛なものに過ぎない。さらに日本人(知識人、商人ばかりか諸侯まで)の知人・友人も多く、行く先々で歓待されるシーボルトを苦々しく思っていたようだ。シーボルトにしてみれば、博物的な知識ばかりか、民政・民情なども調査したいのに、スチュルレルに調査を邪魔されてばかり、そればかりはこれまでは役得だった将軍からの下賜品もわけてもらえないという不満がたまっていたようだ(これは他の商館員と共通)。最大の願いだった江戸長期滞在も、スチュルレルの妨害のためにダメになったと思い込んでいる(前商館長のドーフの判断ではそもそも無理な要求)。

 それでも、わずかな時間を見つけては、各地の植生などを観察・記録している。その博学には驚くばかり。さらには、随行する日本側の役人の目をごまかしながらの測量。彼の意識としては、将来オランダの商船・戦艦が航行できるかも探ることも大きな課題だったようだ。

 彼のまわりに集まるのは知識人が多かったためもあると思うが、日本人や日本文化・芸術(大衆演劇を含む)には敬意を惜しまない。さらに、日本女性が美しいことも。だが、大正時代に日本を旅行したオランダ文豪が悩んだように、人糞を畑にまく悪臭、また水田地帯の蚊の多さにも悩んだようだ。

 彼のところには、日本の様々な“珍しいもの”を持ってくるものも多く、門弟・知人以外は、かなりな高額が要求されている。

 この本の解説では、シーボルト事件のきっかけは、従来の説のように、彼の荷物を積んだ船が難破したため、たまたま禁制の日本地図などがみつかったとしているが、江戸での密告(間宮林蔵)のためだという説が強いようだ。それでも事前に送っておいた資料、さらには、必至に資料を隠匿(あるいはコピー)して持ち帰ることに成功する。

 また、当時の日本最高峰は富士山ではなく、鳥海山で、白山や御嶽山の方が富士山よりも高いと思われていたようだ。また、箱根を通ったときに芦ノ湖湖畔の箱根村の高度を3000フィート(1000m)と計測しているのに(芦ノ湖の標高は723m)、そこから見える富士山の高さを自ら推定しなかったのは不思議。

 この本ではシーボルトの日本妻たきや子供への愛情を評価しているが、この本ではそうした記述(長崎の彼女たちを気遣う表現)はまったく出てこない。紀行文だからなのかもしれないが。

 いずれにしても、彼の持ち帰った資料、彼の報告からオランダやヨーロッパでは“日本学”が始まることになる。彼が住んだライデンのライデン大学博物館には日本コーナーがあり(じつは朝鮮の資料と混在)、庭にはシーボルトが持ってきた日本の木々もあり、日本名が漢字で示されていた(4枚目・5枚目)

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2020年4月記

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