暴君−シェイクスピアの政治学− スティーブン・グリーンブラット 河合祥一郎訳 岩波新書 ISBN978-4-00-431846-0 860円 2020年9月
これはシェイクスピア劇の解説書である。しかし、謝辞に「イタリアのサルデーニャの新緑におおわれた庭にすわって、私は近々の選挙結果について心配していた。〜略〜 そして選挙が最悪の予想通りになってしまってから、」とある。原著の出版が2018年、この選挙とはその2年前、今日で任期が終わる大統領を選んだ選挙のことに間違いない。その国の人(筆者はボストン生まれのハーヴァード大学教授、たぶん、かの国の伝統的インテリゲンチャーの典型といってもいい人だと思う。)としての思いを、シェイクスピアの劇を語ることによって語っている。
シェイクスピア劇は、日本の歌舞伎のように現実社会・政治を書けないという制約の中で(書けば弾圧される)、舞台を過去や海外に設定して、現実の政治を批判、揶揄している。が、同時にそれは時間・歴史という制約を超えて普遍性を持つことになる。
とくに第3章の「いんちきポピュリズム」での「ヘンリー六世」に登場するジャック・ケイド(実在の人物)、ほんとうはエリートの中の悪役の一人ヨーク公に利用されているだけの者だ。しかし、「普通なら、公的人物が嘘をついたと暴露されたり、真実がわかっていないと赤恥を晒したりすれば、政治家としてお終いだ。ところがその常識が通用しない。ケイドのとんでもない暴言、過ち、あからさまな虚言を冷静な人がすべて指摘したとしても、怒った民衆が黙らせるのは指摘した方の人であって、ケイドを黙らせたりしない。」「ケイドが焚きつけている貧民は、自分たちが除外され、蔑まれていると感じ、どことなく恥じているのだ。自分たちは経済的落ちこぼれであり…。」。現状とまったく同じとしか思えない。
ただ、難しいのはこうした事態に対する特効薬はもちろん、処方箋もないことだ。これはいわゆる“先進国”に共通する問題のように思える。もちろん日本も例外ではない。
この本には、訳者による本自体の解説もないし、岩波書店が新書では珍しい翻訳物を出した(2020年はこの本を含めて2冊のみ)経緯の説明もない。だが、10月の選挙前に出したというその意図は明らかだと思う。
目次は帯参照。
2020年10月記