ビザンツ帝国 中谷功治 中公新書 ISBN978-4-12-102595-1 940円 2020年6月(7月3版)
1ヶ月で3版になっていることにびっくり。この辺の歴史は人気があるのだろうか。自分自身は、この辺の歴史は複雑という印象があって、あまり関連の本を読んだことがなかった。イスタンブールにも行ったことはないし、もう行くことはできないだろう。
本書はビザンツ帝国(東ローマ帝国)全体を平等に網羅して記述するのでなく、おもにその中軸時代7世紀〜12世紀ごろを中心に扱う。歴代皇帝を縦軸に、もう一つ宗教の問題とテマ(無理矢理訳すと屯田兵)を横軸に解説する。残念ながら自分自身の教養不足として、この宗教は、つまりキリスト教内部の問題(東西教会のミサで使うパンでの対立とか)はよくわからない。当時の人にとっては大変重要、皇帝の権力維持にとっても大変な問題だということはわかる。あと、ビザンツ帝国では、皇帝が宗教を支配できていたこともわかった。
6世紀のユスティニアヌス帝のころ、かつてのローマ帝国の勢力範囲をかなり回復、その後衰退、ブルガリアなどの侵入に疲弊し、同じキリスト教勢力により略奪の被害、最終的には15世紀半ばにオスマン帝国に敗れて滅ぶ。
ビザンツ帝国以前の話も少し出ていて、ディオクレティアヌス帝(最後の強権的な反キリスト教皇帝)について、生前に引退した数少ない皇帝だそうだ。確かにこの本のでは歴代皇帝の出自と最後の表が載っていて、“畳の上”で死んだ人は少なく、殺されたり、両眼摘出という刑を受けた後追放されたりと、皇帝になっても隙を見せられない大変な立場だったことがわかる。
ディオクレティアヌス帝は引退後は元スプリトの宮殿に住んで、キャベツを栽培して余生を送ったという。スプリトはその後ビザンツ帝国の勢力範囲外になっている。このときボスニアヘルツェゴビナでも少しハイキングがあって、ローマ時代の遺跡(砦跡)が残っていた。ガイドさんの説明では対オスマントルコということだったが、この本を読むと対ブルガリアなどの勢力に対抗するものだったのかもしれないと思う。いずれにしてもローマ勢力の最前線地区だった。2019年9月、スプリトを訪れたときのと、ボスニア・ヘルツェゴビナのハイキングは報告は下サイト。
https://www.s-yamaga.jp/.../croa.../croatiasloveniaSep14.htm
https://www.s-yamaga.jp/.../croa.../croatiasloveniaSep13.htm
目次
はじめに
コラム1 ビザンツは少々ややこしい(その1)
序章 ビザンツ世界形成への序曲 4〜6世紀
コラム2 ビザンツは少々ややこしい(その2)
第1章 ヘラクレイオス朝の皇帝とビザンツ世界 7世紀
コラム3 宦官のいる国といない国
第2章 イコノクムスと皇妃コンクール 8世紀
コラム4 ビザンツ帝国におけるデモクラシー
第3章 改革者皇帝ニケファロス一世とテマ制 9世紀
コラム5 「屯田兵制」
第4章 文人皇帝コンタンティノス7七世と貴族勢力 10世紀
コラム6 ギリシャ語アルファベットとキリル文字
第5章 憧れのメガロポリスと歴史家プセルロス 11世紀
コラム7 「ビザンツ」という呼び名は蔑称であった!?
第6章 戦う皇帝アレクシオス一世と十字軍の到来 12世紀
コラム8 ユーラシア国家興亡史
終章 ビザンツ帝国の残照 13世紀後半〜15世紀
コラム9 ビザンツ帝国の継承国家としてのオスマン帝国
おわりに 「なせまたビザンツなのか」
主要参考文献
2020年10月記