小数と対数の発見 山本義隆 日本評論社 ISBN978-4-535-79813-7 2,800円 2018年7月(2018年10月第2刷)
筆者77歳の時の本、相変わらず膨大な文献を読み解き、緻密な議論を展開する(とてもついて行けません)。
同じ著者の「一六世紀文化革命」と同様、当時のアカデミズムとは次元の違うところ、すなわち知識人たちが自分たちが関わるべきでないとしていた“技術”が、後の科学の発展の礎になっていることをここでも明らかにする。
“測定”と密接に繋がっている小数と対数の歴史を追う。アラビア文化圏を中心とする60進法、さらには60進小数、インドを発祥の地とする“0”の使用、こうしたものを柔軟に取り入れたのは、実用に適すると判断したヨーロッパの商人・技術者たち。
なかでもネーデルランドの技術者シモン・ステヴィン(1548-1620)は、それまでは“単位”とされていた“1”を明確に“数”と断定(定義)して、10進小数の使用を始める。
この間三角法では積和の公式、積差の公式なども見つかる。
この掛け算、割り算を足し算、引き算に変換できる三角法をヒントに、スコットランドの貴族ジョン・ネイピア(1550-1617、貴族故に生活には困っていない、占星術への興味から天文学、さらには計算“技術”の研究)は、明確な小数点(カンマ or ピリオド → ピリオド)の使用も開始する。何しろ、べき乗の概念無しで対数を開発する。これは科学史上の一大驚異というべきものらしい。今から振り返ると(コーシーの)平均値の定理も知っていたらしいという。計算マニアでもあり、20年がかりで7桁(有効数字はそこまで行っていないらしい)する。一種の計算機ともいえる“ネイピアのロッド”も発明している。
そしてドイツのヨハネス・ケプラー(1571-1630)。彼は計算方法を含む職人たちの技術を正当に評価し、利用している。利用しなければ、とても膨大な計算が必要なケプラーの法則を見つけることはできなかった。そして対数による対数による計算技術も自ら改良する。ネイピアでは点の運動で定義した対数を、算術的なものに変換する。すなわち、ネイピアではまだ三角法を媒介していたものうを独立させる。対数は“比”が基本として、比のラテン語“レシオ”、そのギリシャ語”ロゴス”のロゴスから、ロガリズムの語を使用する。自分自身でも有効数字7桁(ネイピアのものよりも有効数字の桁数が1桁以上大きい)を作成する。
最後にロンドンのグレシャム・カレッジのヘンリー・ブリッグス(1561-1630)、彼によって1の対数を“0”、10の対数を”1”とする対数、すなわち常用対数が誕生する。
この本では発見までで、指数関数からの見直しはまでは行っていない。
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2019年11月記