三侠五義

三侠五義 石玉昆述・鳥居久靖訳 平凡社中国古典文学大系48 昭和45年1970年)7月(昭和49年(1974年)1月第2刷) 1,900円

 困っている人・強い者からいじめられている人、拐かされた女性を見ると助けざるを得ない侠気を持っている人、義理を重んじ体面が何よりも大事な義を大事にする人たちが活躍する。

 本当は北宋時代に実在した名裁判官(宰相)の包拯(ほうじょう)の公案(裁判、大岡政談のようなもの)の機転を集めたのが序盤、三侠(じつは七侠)や五義たちの活躍を描く中盤以降というものらしい。でも、編集部の半分程度にして欲しいという要求から、同じような話が並ぶ公案部分を大幅にカットして、三侠五義の活躍した部分をかなり生かしたものにしたということらしい。それでも大部の本。

 包拯が皇帝仁宗に認められるまでも一波乱あるし、精錬故に失脚したこともある(※)、また、仁宗自身が皇帝になるまでにも一波乱ある(嫉妬陰謀が渦巻く後宮で男の子が生き延びるのは大変)。

※ 取り調べの際の拷問は合法だが、それによって容疑者が死んでしまっては違法。だから死を覚悟した容疑者から自白を得るのは大変(自白がないと有罪にできない)。包拯はここをつかれた。

 七侠のほうは、偶然出会った侠客(やくざではない)たちが肝胆相照らし次々と義兄弟の縁を結んでいく。一方五義のほうは陥空島(どこ?)を根城とする兄弟(義兄弟)で全員が“鼠”のあだ名を持っている。七侠と五義の全員が何らかの形で絡んで、みなが包拯の配下となり、権勢を背後に非道の限りを尽くす悪人たちを懲らしめていく。

 全員が素晴らしいそれぞれ得意な体術・武術を持っていて、日本でいうと忍者みたいな忍びも得意。いずれもものすごく強い。なかでも、七侠のトップといってもいい展昭は幾度も包拯の危機を救ったことから知己を得る。そして仁宗の前でその身の軽さを演示したことにより、”御猫”のあだ名をもらう。

 それが気にくわないのが五義の末弟白玉堂、あだ名は“錦毛鼠”。美男だが、性格は冷酷、人を平気で殺したりもする。五義(四義たち)、とりわけ長男の盧方(鎧天鼠)の悩みの種。また、勝ち気なので、自分たち“鼠”よりも強い“猫”のあだ名を持つ展昭(仁宗からもらっただけで自分から名乗ったわけではないが)を挑発(その過程で皇居内に忍び込んで殺人)、結局は七侠たちにやり込められて、(殺人を不問にしてもらって)包拯に尽くすことに。

 仲間になった七侠五義たち(他にもたくさんの義人も加わり)、包拯の意向を受けて、世の中の巨悪たちを退治していく。

 七侠五義たちは“聖人”ではない。とりわけ若い白玉堂はつねに自信満々、五義たちの仲が彼の行いをめぐってぎくしゃくしたりもする。その一人韓彰(徹地鼠)は仲間と離れて一人旅に出ることに。そして結局最後はその自信が徒となり、単身乗り込んだ敵地で罠にはまって非業の死と遂げる(主人公グループの重要メンバーでは珍しい)。

 七侠の中には初めは悪役不正役人馬強の覇王荘の食客だった者もいる。その中の艾虎(がいこ)は15歳という少年ながら大酒のみ、酒の上での失敗も多い。

 都勤めが多い展昭に代わって後半に活躍するのが、五義の一人蒋平(翻江鼠)である。彼は痩せすぎ、顔色も悪い(ときどきお腹を壊している)という容姿とは裏腹に、水泳という特異な技が得意、知謀にも長けている。

 ということで、物語はそれなりに順調に進み、そして後半最大の悪役、仁宗の叔父でもある襄陽王の皇位簒奪の野望を阻止しようと、襄陽王の片腕鐘雄(しょうゆう)を苦労の末に調略に成功したところで、突然にこの話は終わる。つまり、襄陽王との最終決戦はない。

※ 武田泰淳の「十三妹」の直接のネタ本は「児女英雄伝」であるが、そのキャラクターが魅力的だったのか白玉堂も登場させている。

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2019年6月記

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