三国志

三国志 渡邉義浩 中公新書 ISBN978-4-12-10209-4 760円 2011年3月(2017年7月第4刷)

 三国志を専門とする筆者の解説本。蜀官であった陳寿が、西晋の正史(正当性を示す歴史、唐代になって正史と認められる)として曹魏の正当性を書くという屈折した心境から説いていく。曹魏の帝の死は“崩”は当然として、蜀漢の劉備は堯の死に使われた“?(そ)”を用いて暗にその正当性をほのめかしている(いわゆる春秋の筆法)。ちなみに孫権は“薨(こう)“。

 三国志から三国志演義という過程で、蜀漢のスターたちが人気を獲得していくなか、三国志ではあまり出てこな趙雲も活躍するようになっていく。劉備の家族の護衛隊長としては、劉備が曹操に破れて敗走するとき、車から捨てられた子・劉禅を拾い上げ助けたことかが信頼につながったのだろうが、それが蜀漢を滅ぼす原因となったのかもしれない。もっとも、愚鈍な劉禅の人のよさ、父の教えを守って諸葛亮に置いた全幅の信頼がなければ、諸葛亮もあれだけの活躍はできなかったかもしれない。

 赤壁の戦いの実質を担った孫呉も、演義ではあまりこの戦いでは活躍していない蜀漢の手柄となってしまって少し気の毒。ただ、三国以後も地元では親しみを持たれていた蜀漢と違い、孫呉は地元の名士(お金も人望もあるインテリゲンチャー)の支持を得られなかったこともあり、地元でも人気はないようだ。

 全知全能といってもいいくらいの智絶・諸葛亮(孔明)の最大の失敗は情に溺れた馬謖の登用、劉備からからさえ注意を受けていたのに、これで中原進出は事実上だめになったわけだ。日本でも、蜀漢びいきは多いと思う(演義を読めばそうなる)。中国でも蘇軾の時代(11世紀・北宋)にはすでに、うるさい子供たちに蜀の諸将の活躍を話し出すとたちまち身を入れて聞き始めたという(蘇軾談)。

 ただ、日本と違うところは義絶・関羽は神様にまでなってしまうところだろう。日本の中華街にも関帝廟がある。日本ではそこまでは行かない。

 大人になると、奸絶・曹操もじつは魅力的な人物、改革者でもあるし、文人でもあることがわかってくる。あの、「アルプスの少女ハイジ」の憎まれ役ロッテンマイヤーさんが、じつはとてもいい人だとわかってくるようなものかもしれない。

 三国志の列伝くらい、読んでみるか。

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2019年7月記

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