林彪事件と習近平

林彪事件と習近平 古谷浩一 筑摩書房 ISBN978-4-480-01682-9 2019年5月 1,600円

 謎に満ちた林彪事件(1971年9月13日)。中国共産党の党規約で毛沢東の後継者と書かれた(これも異常)林彪が、ソ連(当時毛沢東中国と激しく対立)に亡命を図った(とされる)、その途中のモンゴル(当時ソ連派)で乗った飛行機が墜落、林彪とその妻・葉群、息子・林立果など9名が死亡した事件。娘・林立衛はこの件には加わっていない(密告者)ので命は助かる。

 筆者は林彪事件について連載記事(2014年)も書いたことがある朝日新聞の記者(現論説委員)。事件について現地に飛び、生き残っている関係者にインタビューし、また一部機密文書も見ながら事件の真相を追う。筆者はどちらかという息子の林立果が毛沢東殺害などのクーデター計画を立案し、それがばれそうになって逃亡計画を主導したという立場のようだが、確証があるわけではない。

 林彪事件と習近平の関係は、もちろん直接的なものではなく、中国共産党内部のすさまじい党内党派権力闘争、それも暗闘が多く、言葉を換えれば“回し蹴り”も多く、外部からはなかなか真相が見えにくい構造になっていて、それが文革以前から今日までずっと続いている、そして幹部たちが突然権力の前面に出て、また消えて(消されて)いくという歴史が続いているということをいいたいようだ。毛沢東のように革命を主導した実績のない習近平も、党規約に個人名が書かれるようになった(2017年)。つまり、毛沢東、ケ小平に継いで個人崇拝の対象になったわけだ。

 こうした中国共産党の、武力弾圧をもちらせつかせながらの圧力を受ける香港はどうなるのだろう。欺瞞に満ちた一国二制度、もうすでに中国は経済的には社会主義国ではないので、二制度の内容は経済上の二制度ではなく、共産党一党独裁の政治制度と、かろうじてそうではないという建前の政治制度の二制度というのが実情だろう。中国共産党は一応2047年までは二制度を保障したわけだが、百年河清を待つどころか五十年も待てないで、一制度に移行したいようだ。だが、高度経済成長の結果、信じられない貧富の差が生じてしまった中国社会、また”民族問題”も抱え、こうした中での異分子を強権的に弾圧する共産党の一党独裁がずっと続く保障もない、経済成長という自転車が止まったしまったら、その支配も崩れてしまうだろう。

※ 添付したのは、文革時代の1968年に製作された毛沢東と並ぶ林彪の絵皿。四川省のパンダの臥龍から観光地黄龍の間、岷江(長江の支流)の地震湖(1933年の大地震の土砂崩れで川がせき止められた湖)畳渓海子(じょうけいがいし)で売られていた文革グッズです。毛沢東−劉少奇が並んでいたものもあったのですが、1968年は林彪失脚直前かと思いこちらを買ってしまいました。毛沢東−劉少奇の方が価値があった? いずれにしても、十数元だったので両方買っておけばよかった。2005年夏の四川省旅行でした。

目次
プロローグ なぜ今、林彪事件なのか
第一章 その夜、いったい何が起きたのか
第二章 中国ではその夜、何があったのか
第三章 林彪はなぜ、亡命を目指したのか
第四章 事件の後、何が起こったのか
第五章 今、習近平がやっていること
第六章 よみがえる文化大革命
エピローグ これからの中国で何が起こるのか

 

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2019年8月記

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