日本旅行日記1 アーネスト・サトウ 庄田元男訳 平凡社東洋文庫544 ISBN4-582-80544-2 2,781円(本体2,700円) 1992年1月
日本旅行日記2 アーネスト・サトウ 庄田元男訳 平凡社東洋文庫550 ISBN4-582-80550-1 2,884円 1992年6月
驚くべき行程。まだ修験者や猟師しか入り込んだことがないような、登山道らしきものもない時代、もちろん日本人はまだスポーツ登山など知らない時代に、各地の山々を登っている。それも冬の季節にも。友人ばかりか、本人までも遭難の危機に直面したりしている。もっとも厳しい山々にも修験者の足跡があり、危険な箇所には鎖が設置されている場所があったことも驚き。いずれにしてもサトウはものすごい健脚。
針ノ木峠を越えたり、また南アルプスの農鳥岳、間ノ岳も登っている(ヨーロッパ人としての初登頂)。間ノ岳から甲斐ヶ根(北岳)を望んだとき間ノ岳の方が高いと思い甲斐ヶ根(北岳)を登らなかった、でもあとで見ると甲斐ヶ根(北岳)の方が高いようだったので、それを悔しがったりもしている。もっとも、最近の測量では間ノ岳は3189.5mで奥穂高と並んで日本第3位、日本第2位の3193mの北岳との差はごくわずか。
当時の日本はまだ貧しく、サトウも荷物を運ぶ人夫、人力車、船賃、宿泊代など再三納得いかず、また彼らの態度、隙あらば“ぼろう”とする姿勢に辟易としている。子供たちの“外人”に対する好奇の目も。これらは、現在日本の海外ガイドブックに表現されている発展途上国での注意とまったく同じ。当時の日本を旅行する際に悩まされる蚊、蚤、ブユなどもすさまじかったようだ。行く先々でパスポート・チェックも必要。でも、これらも経済的に全体が底上げされ、教育の普及も進んで行く中で自然に解消されていったのだろう。とくに日本人がもともと優れているわけでもない。
こうしたマイナス面ばかりではなく、清潔で快適な宿があればそれを、またおいしい日本料理(サトウは日本料理が好き)、さらに親切で知的な人びと、そして風光明媚な光景に対する賛辞は惜しまない。日本びいきがすごすぎるエドワード・S・モース(大森貝塚のモース、平凡社東洋文庫では「日本その日その日」(全3巻))よりは客観的かもしれない。
訳として少しわからないのは、日記なのに時代順に並べていなところ、その理由が明記されていない。また、サトウの足跡が文だけで地図がないのでわかりづらい(丹沢での遭難騒動だけ地図がある)。ここは是非とも地図が欲しかった。
※ アーネスト・サトウ(1843年6月30日〜1929年8月26日)
日本語(日本に来てから本格的に勉強)の能力を生かし、大使館員として1862年〜1883年、駐日公使として1895年〜1900年の25年間日本に滞在。明治維新やその後急速に発展する日本、しかもいろいろな現場に出かけてその変貌を見たことになる。日本滞在中に、武田兼(かね)と事実婚、3人の子がいる。きちんと親としての責任は果たしている。一人は植物学者武田久吉、一人の娘は夭折、もう一人の男子はアメリカ移住。イギリスでは独身。欧米の複数語、中国語・韓国語もできたようだ。日本語は日常会話はもちろん古文も読める日本通。サトウという名字、さらには黒髪だったので外国人が珍しかった当時でもあまり警戒されなかったようだ。日本以外の任地も歴任。外交官引退後は著述に専念。日本に戻りたかったようだが果たせなかった。
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2019年10月記