日米地位協定 山本章子 中公新書 ISBN978-4-12-102543-2 840円 2019年5月
日米安保条約を支持するという筆者から見た日米地位協定の矛盾。米軍(軍人・軍属・家族)が重大犯罪を犯すたびに問題となる、日米地位協定により逮捕権・裁判権が日本側に事実上ない問題。じつはさらに踏み込んだ(1960年から現在に続く安保条約とそれを補完する地位協定と同時に作成された)日米地位協定合意議事録(当時未公表)により、事実上日本側の権利は放棄されているという。
そして地位協定そのものも、米側の意向を忖度した日本政府によってなし崩し的に解釈が変えられてきたという歴史。日本側が忖度せざる得ないのには、トランブが現在やろうしていることとまったく同じ、カーター、クリントンなどの民主党大統領も等しく圧力をかけ続けてきた米側の貿易赤字の問題がある。歴代日本政府は、あまりこの問題に触れてほしくなかったのだ。つまり、ある程度譲歩し、さらには金(米軍に対する負担金→おもいやり予算)で解決という方針。
もっとも、米側といっても国務省と軍部、日本側といっても外務省と防衛庁(現防衛省)の対立もあり複雑である。そして当然、アメリカにも日本にも「世論」があり、政府はそれも気にしなくてはならない。
いずれにせよ筆者は、日米地位協定で獲得されている日本側の権利を形骸化させている合意議事録を完全撤廃すれば、問題の大半は解決すると主張する。日米安保条約(基本的には軍事同盟)を前提とすれば、まあそうかもしれない。
不思議に思うのは、現憲法を“押しつけ”と主張する人たちが、また“反「自虐史観」”の人たちが、米から押しつけられた地位協定とその密約部分である合意議事録(かなり屈辱的な内容のはずだ)を”押しつけ”・“自虐”と反発しないことだ。さらに、自衛隊成立(警察予備隊)も”押しつけ”であることは明白なのに、そこを問題視しないのはなぜだろう。結局彼らの”押しつけ”論は、自分たちの考えに沿うものは受け入れるというご都合主義以外のなにものでもないことは明らかだと思う。
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2019年6月記