近代日本150年 山本義隆 岩波新書 ISBN978-4-00-431695-4 940円 2018年1月(2018年12月第6刷)
日本の科学技術の150年を、その社会背景ともに批判的に総括する。
第二次世界大戦の敗戦を「科学戦で負けた」ということには二つ問題があり、一つはそれは対アメリカ戦のことで対中国戦ではないこと(対中国戦での敗戦に目をつぶること)、もう一つはこれによって科学技術者の戦争への荷担責任が曖昧にされ、逆に科学振興が錦の御旗になったことと指摘する。さらに朝鮮戦争というタイミングをうまく利用して経済復興・発展がなされていき、高度経済成長への道が開かれたことなども書かれている。
そもそも明治維新以後の成長も、微妙で絶好の世界情勢のもとに先進国の仲間に滑り込めたこと、そしてそれは“軍”という存在が大きかったこと、結局科学者たちも“挙国一致”になだれ込んだと書いている。長岡半太郎を日本物理学のドン、仁科芳雄をゴッドファーザーと手厳しい評価をしている。
原子力については、もし事故が起こらなかったにしても、子孫にツケを回すものだという指摘は、まったく同じ考えを持っている。また、現在の日本のプルトニウム保有量はすでにとてつもない量になっていて(2017年で47トン、通常原爆6000発分)、世界からは(潜在的)核保有国と見なされ、逆に日本政府もそれを利用していると分析する。
筆者の指摘を待つまでもなく、四大公害病のときと同じく、”御用学者”が原発事故の時も登場したことは記憶に新しい。
いずれにしても、科学技術は(使い方さえ間違えなければ)明るい未来を拓くものというのは、甘い幻想にすぎだいだろうという自分の曖昧模糊とした直感を、具体的に、そして緻密に展開してくれたような気がする。
目次
序 文
第1章 欧米との出会い
1 蘭学から洋学へ
2 エネルギー革命との遭遇
3 明治初頭の文明開化
4 シンボルとしての文明
5 窮理学ブーム
6 科学技術をめぐって
7 実学のすすめ
8 過大な科学技術幻想
第2章 資本主義への歩み
1 工部省の時代
2 技術エリートの誕生
3 帝国大学の時代
4 鉄道と通信網の建設
5 製糸業と紡績業
6 電力使用の普及
7 女工哀史の時代
8 足尾銅山鉱毒事件
第3章 帝国主義と科学
1 福沢の脱亜入欧
2 そして帝国主義へ
3 エネルギー革命の完成
4 地球物理学の誕生
5 田中館愛橘をめぐって
6 戦争と応用物理学
第4章 総力戦体制にむけて
1 第一次世界大戦の衝撃
2 近代化学工業の誕生
3 総力戦体制をめざして
4 植民地における実験
5 テクノクラートの登場
6 総力戦体制への道
第5章 戦時下の科学技術
1 科学者からの提言
2 戦時下の科学動員
3 科学者の反応
4 統制と近代化
5 経済新体制と経済学者
6 科学技術新体制
7 総力戦と社会の合理化
8 科学振興の陰で
第6章 そして戦後社会
1 総力戦の遺産
2 科学者の戦争総括
3 復興と高度成長
4 軍需産業の復興
5 高度成長と公害
6 大学研究者の責任
7 成長幻想の終焉
第7章 原子力開発をめぐって
1 原子力と物理学者
2 原子力開発の政治的意味
3 日本の原子力開発
4 そして破綻をむかえる
おわりに
文 献
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2019年11月記