魏志倭人伝の謎を解く 渡邉義浩 中公新書 ISBN978-4-12-102164-9 2012年5月 760円
三国志の研究者が、三国の一つ魏(曹魏)の歴史にのみ登場する邪馬台国の読み方を解説する。絶対に確実なのは皇帝の詔書に書かれている、“邪馬台国”からの贈り物とそれに対する返礼品で、これらは歴史書であるから編集せず(皇帝の詔書なので改竄できない)にそのまま載せている。だが、それ以上は当時の世界観(地理観)、また当時の魏を取り巻く世界情勢を抜きに、倭人伝を読むことができないことを強調する。これはその通りだろう。これまでは倭人伝の部分だけを、自説に有利なように、いわば牽強付会的な読み方が多かったと思う。
まず、三国志の著者陳寿の屈折した思い。もともとは蜀漢の史官だったのに曹魏に仕えることとなり、すなわち魏の正史(正史の意味=正しい歴史ではなく王朝の正当性を述べる歴史)を書かざるを得なかったという背景。また、中華の外の脅威である東夷・西戎・北狄・南蛮がいかに中国王朝の権威と徳にひれ伏しているのかを強調する。ただ、当時の現実としては西戎は蜀漢に接し、南蛮は孫呉に接し、直接曹魏に接する北狄と東夷に当たる部分のみが書かれている。その一つとして、邪倭馬台国があることになる。ただ、曹魏は蜀漢との対抗上、西域の国に「親魏大月氏王」の称号を与えている。これに対応するのが「親魏倭王」の称号ということになる。つまり大月氏(このころはクシャナ朝)に匹敵する東の大国、それも礼法の行き届いた未開ではない大国でなければならない。倭は長寿の国(不老長寿のあこがれの地)でもある。
そして、当時の地理は中国を中心として遙かに広い地域が想定されていて、倭もインドのクシャナ国に匹敵する距離でなくてはならない。ということから、倭の国までの距離’(解釈が難しかった水行・陸行で長い旅)が逆算される。また、遙か東南アジア(孫呉の背後という意味も出てくる)の少しばかりと知識から、倭の国の人たちの習俗も想像されることになる。つまり倭は実在していても、その位置、またその習俗は陳寿(当時の知識人)のイデオロギーの産物ということになる。
ということも鑑み、筆者は邪馬台国=大和説をとる。そして、卑弥呼(たち)のシャーマン的内政と、優れた外交センスも評価する。いずれにしても3世紀の日本のことが、断片ながら文書に残っているのはすごいと思う。
目次
はじめに
第1章 倭人伝と邪馬台国論争
第2章 倭人伝の執筆意図
第3章 倭国を取り巻く国際関係
第4章 理念の邪馬台国
第5章 邪馬台国の真実
附章 魏志倭人伝 訳注
あとがき
さらに深く知りたい人のために
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2019年7月記