新訂幕末下級武士の絵日記

新訂幕末下級武士の絵日記 大岡敏昭 水曜社 ISBN978-4-88065-459-1 2,500円 2019年4月

 この本は面白い。忍(おし)藩の武士尾崎石城が、33歳ころの1861年6月〜1862年1月にかけた書いた絵日記を、再編成して解説したもの。ちなみに、ペリー来航が1853年、明治元年が1868年。石城はもともと絵が好きで絵がうまい人だったらしい。他人から屏風やふすまの絵を頼まれたりしていて、薄給だった生活の足しにもしていたようだ。

 石城は、1857年(29歳)のときに藩政に上書(意見書)したためか、俸給を100石(中級武士)から10人扶持(下級武士)に減らされ、江戸から在所忍(おし)藩への引っ越しを命じられ、さらには29歳で隠居もさせられてしまう(妹の婿・進を養子〔一人目の養子は死んでしまったので養孫〕にして家督を継がせる)。日記はその不本意な忍での生活を綴る。

 ただ不本意なはずではあるが、毎日友達を訪ね、遊び、飲み歩いている。石城は隠居の身なので勤務の必要はない。でも現役の友人たちも当直の日は少ない(10日間で1、2回?)ので同じく暇。まさに「ありもしない戦争を請け負ってお金をもらっている」状態。友達は自分と同じ下級武士もいるが、昔は彼もそうだった中級武士もいる。そればかりか僧侶たち、町人もいる。何かにつけては身分や立場の違いもなく自宅や友人宅(お寺も含む、お寺でも生臭物も平気、石城とつきあいのある僧はそればかりか女好き)で飲み会。

 貧乏なのにそのときは結構豪華な食事。もちろん料理屋にも繰り出す。食事の内容もマグロの刺身など平気で出てくる。内陸の忍にも海産物がきちんと流通していることがわかる。また、宴会は卓の上に食事を並べるのではなく、床に大皿を直接置いて、各自がそれから勝手にとるというスタイルだったこともわかる(表紙の左側の絵)。

 男性ばかりか、女性たち(おもに料理屋の女将だが)もお寺や武士宅を訪ねて宴会に参加、そればかりか宿泊も。結構自由だったようだ。夜、女性が一人で6kmほど離れた自宅に戻ることもある。治安もよかったようだ。

 下級、中級武士は、とくに石城や友達の単身者は頻繁に自分で料理を作っていた。つまり武士でも男子厨房に入っていたわけだ。

 弱いもの同士の助け合いの暮らし。石城の弱いもの(赤貧の寡婦の子供たち)に対する温かい眼差し。そうした人望もあるのか、石城(尾崎家)がさらなる処分を受けても変わらないつきあい(12月)。表向きは過酒による不行跡(これも否定できないが)、でも実際は中小足軽集会で藩を批判したことらしい。同時に100人規模の逼塞処分〔昼間外出禁止)。

 藩からこうした処分を受けた人とつきあうのははばかれるかもしれないが、彼の場合は夜ごと友人たちが慰めに来る(また宴会)。逼塞が守られているか、藩の監視があるだろうがそんなことは関係ない。友情の方が厚いのか、それ以上に家老たち藩政の執行部に対する下級武士の不満が共有されていたのか、だから監視者も同情的(共感している)のか、じっさい100人規模の処分者を監視できないということなのかはわからない。この処分は1月には解ける。もっとも、日記を書かなくなって以後もまた処分、石城が藩から評価さえるのは明治になってから。

 よくこんなに酒が飲めるかというほど、彼やその周りの人たちはよく飲んでいる。類は友を呼んでいるのか。昼から飲むばかりではなく、二日酔いには朝から迎え酒という状態。なので、酒の上での失敗も数多い(きちんと日記に書いている)。兄とともに江戸にいる彼の母の心配は息子・石城の酒のこと。母には禁酒したと伝えるが守りっこない。もっとも酒を飲んでいるだけではない、すごい読書家でもある。親友や僧侶たちも。

 武士の絵日記は珍しいのではないか。さらにその絵がカラーでもある。今度の新訂版でようやくその絵をカラーで見ることができるようになった。表紙でもわかるように、カラーとそうででないのとではまったく印象が違うと思う。ちなみに表紙の右下は尾崎一家で、右が石城、左が妹の婿・進、そして女性が妹の邦子、赤ん坊が石城が溺愛している姪のきぬである。この絵は逼塞中に迎えて正月の絵だが、そうした中でも平和な正月を家族で迎えていることがわかる。もっともその後すぐに友人たちが遊びに来る。

 幕末の下級武士の生活がよみがえる。さらに当時の情報伝達の速さもわかる。1862年老中安藤信正襲撃事件(坂下門外の変)の安藤が幕府に出した届け出(書き付け)のコピーが、9日後には忍藩の下級武士石城たちの手元にもやってきたという。

※ 忍藩は現埼玉県行田市、忍城は難攻不落の城、秀吉の北条攻めのとき、石田三成が水攻めにしたが落ちなかった話の映画が野村萬斎主演の「のぼうの城」。

 

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2019年5月記

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