校本宮沢賢治全集第10巻

校本宮沢賢治全集第10巻 天澤退二郎・入澤康夫他 筑摩書房
昭和49年3月初版、昭和51年6月2刷、3,500円

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 童話集の四巻目。お馴染みのものが多い巻。初期型のものがあるものは、それと読み比べても面白い。たとえば「銀河鉄道の夜」の初期型はブルカニロ博士の意識操作だったのが、この巻ではジョバンニの夢となっている。ポラーノの広場の音楽会は市議会選挙の買収の宴会の場という現実的なものになっている。風の又三郎もとくに不思議な少年ではない。宮沢賢治の場合、初期型は原稿が散逸していることもあり、筋が終えなかったりするものもあるが、後期型ののものほど筋は「常識的」追えるものになる。ただ、どちらがいいかは好み次第、優劣は付けがたいところがある。

 銀河鉄道の夜の初期型(第9巻)の最後の方に出てくる(ブルカニロ博士)が示した「地理と歴史の本」の概念、「この本のこの頁はね、紀元前2200の地理と歴史が書いてある。よくごらん紀元前2200年のことではないよ。紀元前2200のころにみんなが考えてゐた地理と歴史といふものが書いてある。」というのは素敵なアイデアだと思うが、この巻の銀河鉄道にはブルカニロ博士も、この地理と歴史の本も出てこない。、またこの巻でのカンパネラは水に落ちたサネリを助けるためにおぼれ死んだことが明記されているが、初期型のカンパネラはその辺のことは書いてない。お父さんのことについては、初期型では喧嘩して相手を傷つけた罪で服役中とあるが、この巻でのお父さんは具体的では出てこない。いずれの形にせよ。ジョバンニの石炭袋のような孤独感を思うと、胸が締め付けられるというのは共通している。

 「グスコンブドリ」は次巻で最終形「グスコーブドリ」。

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2018年6月記

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