儒林外史 呉敬梓 稲田孝訳 平凡社中国古典文学大系43
ISBN4-582-31243-8 1698年10月初版(1998年2月16刷) 6,000円
歳を取ったら読もうと思って買って置いた本。歳を取ったのでやっと読んだ。初版は1968年だが、これは1998年の第16刷なのでその頃に買ったようだ。
儒林とは中国の科挙制度下でのインテリゲンチャー集団、当然科挙試験を目指している人たち、そして合格した人たち、科挙制度が全てと思っている人たち、いわば科挙ムラの住民たち。まったく意味のない八股文を磨き、現実社会とは遊離していることにすら気がつかない。ただ、合格すれば名誉と富が得られる。結構彼らのネットワークは密で、互いに名前を知っている者同士も多い。合格、栄転、左遷、昇進などが話題。
筆者の呉敬梓もかつてはその一員だったが、そこを離れて外から樹林を批判的な立場で書いたのがこの本である。55回の章からなり(西遊記などと同じ章回小説)、ある章の最後のころに出てきた人の話が次の章のメインになりという具合に、輪舞のように話が進んいくので、トータルとしての筋はない。
年老いて合格したと思ったら喜びのあまり発狂してしまったり(本人は正気に戻るが、母親は喜びのあまりに死んでしまう)、合格して赴任先できちんと仕事をしたはずなのに足下を救われたり(洪水対策の土木工事をしたら費用がかかりすぎとされたり、苗族の反乱を鎮圧したらその費用がかかりすぎとされたり)という具合に、官吏になれても幸せとは限らない。
一番登場人物が集合するのは泰伯祠(泰伯(太伯)を祭る祭り)を、古式に則って(反儒林の意思表示)行ったとき、筆者自身がモデルという杜小卿(先祖からの遺産を使い果たして零落している、そのような人たちが他にも出てくる)も重要な役割を果たすことになる。
最終回(第55回)は登場人物が集合して大円団になるのではなく(ここが輪舞とは違うところ)、泰伯祠の建物も荒れ果て、登場人物は死んだり、年老いて世から消えたりした時代になったころの、儒林ではない一般庶民の中の“奇人”が描かれている。
中国のことわざめいたものに「能吏よりも俗吏の方がよい」というようなものがある。どのみちお上というものは庶民から絞れるだけ絞ろうとしている、それなら隙のない(誤魔化しがきかない)能吏よりも、隙だらけの(誤魔化しの効く)俗吏の方がましということで、この小説でも賄賂は当たり前(賄賂が効く役人が多い)という世界が描かれている。
インテリゲンチャーたちはフラッと旅に出たりもしますが、片道の旅費しか持たないことも多く、それでも知人たちの援助などで何とかなったようです。
登場人物がたくさんいすぎて、巻頭にある主要人物一覧表がなくてはとてもわからない(それでも大変)。
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2018年9月記