ホーチミンルート従軍記

ホーチミンルート従軍記 レ・カオ・ダイ 古川久雄訳 岩波書店
ISBN978-4-00-024768-9 2,400円 2009年4月

目次
謝辞

日本語版への序文
第1章 準備
第2章 出発
第3章 国境の十字路
第4章 中部高原の病院
第5章 1968年 申年のテト
第6章 苦難の時
第7章 全戦場陸軍医療協議会
第8章 野戦病院Z25
第9章 中央翼への帰還
英語版訳注
訳者あとがき
解説 古田元夫

 1966年6月から1973年7月にハノイに帰還するまで(1回だけしかハノイに戻っていない)北ベトナム正規軍の軍医として従軍した医師の報告。目的に着くまでもかなりの自助努力、現地でもほとんど自給自足の生活。それは食糧生産にとどまらず、医療設備・器具の製作まで。しかもアメリカ軍の猛爆・レインジャー(特殊部隊)におびえながら。でも、つねに意気軒昂。だが、実際は持病の緑内障の悪化、たぶん枯れ葉剤の被害に遭っているという過酷な生活ではあった。そうした生活を淡々と、また自軍の不祥事(仲間の相打ち、女性への暴行など)も素直に報告している。現地少数民族との交易(物々交換)もおもしろい。軍から支給された服なども物々交換の材料となる。また、既に緊張していたカンボジアとの関係も出てくる。

 ベトナム戦争が激しかったころ、民青の学生官僚が「南ベトナムの闘いは南ベトナムの人自らが起ち上がって自らだけが戦っている。北からの援助は物質・人員とも全くない。」などといっていた。これは“一般学生”の支持を集めるためだったのだろうが、みなが暗黙に了解していた事実をそこまで一生懸命隠さなくてもいいのではないかと思った。

 ベトナム戦争が終わったとき喜んだ人が多かったようだが、私はこれからは南の人たち(北の人たちも)はスターリン主義の支配の元に置かれる、闘いはまだまだ長いと思った。しかしその後の展開は幸い私の予想を外れ、ベトナムは文革当時の中国や、現在の北朝鮮のような漫画的なスターリン主義国家にはならなかった。それどころかベトナムは中国(文革後、ケ小平の時代)に“懲罰”と称した中国軍の侵入・破壊を受けるという、大国に翻弄される姿を見た。

2009年8月記

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