一眼レフ戦争とOMの挑戦

一眼レフ戦争とOMの挑戦 米谷美久 朝日ソノラマ
ISBN4-257-12043-6 1,800円 2005年2月

目次
はじめに
第1章 結論の出ない企画会議
第2章 前代未聞の合体カメラ
第3章 「マイタニのM」システム
第4章 小型ボディーに大きな操作部
第5章 ベールを脱いだ新型カメラ
第6章 画期的なダイレクト測光
第7章 意思を生かせる自動化路線
第8章 歴史を変えたOMの思想
あとがき

 銀塩カメラの時代、一眼レフはOM-2Nを使っていた。愛着の深い機である。

 そのOMの全体像をイメージし、本体の設計の責任者米谷美久(まいたによしひさ)氏があかす、OM秘史である。おもしろくないはずがない。

 まず、20代の若さでハーフサイズカメラ(一眼レフもある)オリンパス・ペンの設計にかかわり、37歳という若さでOMシステム開発の責任者となったことに驚く。のちに、XAも生み出す。

 すでに35mm一眼レフ市場は、キャノン、ニコンなど4社の寡占体制に入っていた中で、どう割り込むか。「宇宙からバクテリア」までを撮影対象とし、「大きく、重い、音がうるさい」という一眼レフ三悪を乗り越えて、「小型軽量」のものにするか、という挑戦でもあった。

 全体のシステムをイメージしつつ、細部まで検討して小型化を図る工夫と努力、そしてアイデア。それを一つ一つ明らかにしてくれる。フォーカシング・スクリーンの交換なんか、一眼レフでは当たり前の技術と思っていたが、これも大変なものであることがわかった。

 開発途中の、すべての部分を自由に組み立てることができる合体カメラはおもしろい。また、OM開発の途中での横やり(別システムオリンパスFTL)との緊張もあった。シリーズ名のOMも、初めはM-1(マイタニ−1?)だったのが、ライカ(M-3)からのクレームで、OM-1に変更した経緯も書かれている。

 そしてOM-2で実現した、フィルム面で測光するというTTLダイレクト測光。このあたりでほぼOMシステムは完成したと思う。使いやすいカメラだった。

 OM-3、OM-4はプレ・オートフォーカス時代の一つの成熟した姿だった。OM−2桁の機種は蛇足だったかもしれない(営業上はやむを得ない製品)。これらは精密機械というカメラから、電子機器というカメラへの端境期で揺れ動いた持代のカメラともいえる。

 その後、オートフォーカスへの対応で(真っ先にオートフォーカス・一眼レフを出したミノルタ(今日のコニカミノルタ)が、一眼レフから撤退したことは示唆的でもある)、一時一眼レフから手を引いたオリンパスだが、ようやくE-1でもってデジタル一眼レフ市場に登場して来た。だが、正直いって、かつてのOMほどの独創性はないし(ダストリダクションはプロには評判がいいようだが)、画期的な小型・軽量化(ニコンやキャノンより撮像サイズが小さいのに)も実現していない。もう少しがんばって欲しいと思う。

2006年2月記

  2009年7月30日、米谷美久氏が亡くなりました。享年76。合掌。

2009年7月記

戻る  home