富士案内 野中至 芙蓉日記 野中千代子 大森久雄編 平凡社ライブラリ
ISBN4-582-76563-7 1,300円 2006年1月
目次
富士案内 野中至
富士登山案内
富士山頂気象観測所設立の顛末
第一回冬季登山記
第二回冬季登山記
剣が峰観測所の経営
寒中滞在記
寒中82日間の観測記
富士観象会趣旨
富士観象台建設に付徴意を述ぶ
富士観象台建設事業に関する略歴
寒中登山を勧む
芙蓉日記 野中千代子
冬季登山など一般的でなかった時代に(富士山に登ることすら難しい)、富士山観象台を自費でつくり、冬季の観測を試みた野中至自らの文。寒中観測を一人で行っていたときに、突然参加した妻・千代子「芙蓉日記」も読める。猪突猛進、似たもの夫婦か。
至の父の寛容(息子に好きなことをやらせる)、学校を中退しても学費を送り続ける、至はそれを貯めて資金にするのだが、父の詠んだ「人よりも丈高かれと育てしが富士の山とは少し高すぎ」はとてもよい。
彼が挙げた高山観象の目的で、気象は当然としても、ほかに星学(ハワイ望遠鏡先取り)、黴菌学、生理学(夫婦で高山病?になってことで過酷さを実証)、地学(重力、地震動)、化学(大気成分など)もあり興味深い。
それにつけても、その後の野中至はどうなったのだろう。没年は(1867年〜)1955年、富士山寒中観測は1895年なので。妻・千代子は1923年に亡くなっている。