刀狩り−武器を封印した民衆− 藤本久志 岩波新書新赤963
ISBN4-00-430965-4 780円 2005年8月
目次
プロローグ 丸腰の民衆像を超えて
I 中世の村の武力
II 秀吉の刀狩り令を読む
III 刀狩りの広がり
IV 秀吉の平和
V 徳川の平和、刀狩りの行方
VI 近代の刀狩りを追う
エピローグ
あとがき
参照した論者の一覧
あの島原の乱の後領主として入った小大名(山崎家治)は、農民たちの要求に応えて没収した武器を返却しているというプロローグから始まる。秀吉の刀狩りも、目的は武士と農民の見かけ上の違いをはっきりさせることで、脇差し以上の帯刀を禁ずることが真の目的であったという。だから刀がメインで、槍や銃などには甘かったという。もちろん、秀吉は「大仏殿造営のため」という名目で刀を没収すれば一揆も起こしにくいからという理由で大名を説得し、大名は「大仏殿造営」を第一の目的として農民を説得することになる。
だが民衆は丸腰になったのではなかった。自ら武器を人に対して使うことを封印したというのが筆者の主張である。農民だけでなく、武士も一揆勢に対して銃を使うことは(正当防衛でなければ)、幕府の許可が必要だったという。
そして、明治の廃刀令、そしてマッカーサーの刀狩りによって、丸腰の民衆のイメージは定着する。だが実際には、マッカーサーが没収した武器は刀剣だけで100万(300万という説も)、現在でも銃刀法で認められた刀は200万、銃は7万近い。
だがこの民衆の自律と合意を意識化して、積極的武器封印を国是とすべきという筆者の主張で結ばれる。
2005年10月記