倭館 田代和生 文春文庫
平成14年(2002年)10月 ISBN4-16-660281-0 760円
目次
第1章 古倭館の時代
第2章 200年前の日本人町
第3章 「鎖国」の中の倭館貿易
第4章 倭館に生きる
第5章 日朝文化の交流
第6章 朝鮮を調べる
参考文献・資料
江戸時代、鎖国をしていたわけだが、長崎ではオランダ・中国と交易していた。しかし、それ以外でも、島津藩を通じて琉球(微妙な位置)、対馬藩を通じて朝鮮とも交易していた。その朝鮮との交易は、釜山にあった日本人町で行われていた。
本書は、その日本人町の実態を明らかにする。まず、当時の対馬藩の成人男子の5%程度の男性(男ばかり)が住んでいた。鎖国以前の東南アジアには日本人町があったことは知っていたが、このような大規模な日本人町が江戸時代にもあったことは知らなかった。
日朝(幕府と朝鮮王朝)は対等な関係であるが、藩としても対馬藩は朝鮮王朝に朝貢する立場であった。こうしたことをうまく利用して、対馬藩は貿易で莫大な利益を得る。これは日朝の利益にもあっていた。
輸入するのは生糸、そして朝鮮人参など。輸出はおもに銀。
本書では、倭館の日常も紹介する。莫大な利益を生むことによって生ずる密貿易。しかし、倭館にすむ人たちの中には近隣への散歩を楽しむ人たちも。また、男だけの町に絡む女性問題。女奸条約までがあったそうだ。一般に曖昧にすまそうとする日本側と(朝鮮女性と関係を持っただけで死罪にしたくない)、厳密にやりたい朝鮮側の葛藤。
日朝の交歓の宴のメニューも紹介されている。
最後の章は、徳川吉宗による朝鮮の調査。とくに朝鮮人参を持ち帰り、日本での栽培を試みる。なにしろ、江戸時代は朝鮮人参のブームで、莫大な銀の流出を避ける意味でも朝鮮人参の栽培の可否は大きな問題だったわけだ。日光、小石川、江戸城で試みて成功する。
もっとも、風土の違う日本で栽培されたものは薬効が少ない? いまでも朝鮮産が珍重されている?
2003年1月記