子どもの中世史 斉藤研一 吉川弘文館
ISBN4-642-07796-0 2,800円 2003年3月
目次
中世を生きる子ども
一 「甑落とし」と「土器割り」
二 アヤツコ考
三 子どものお守り
四 働く子ども
五 「子取り」
六 賽の河原の誕生
七 石女地獄について
明治に日本を訪れ、東北地方などを旅したイザベル・バードは、日本人が大変に子どもをかわいがり、また大事にしていることに感動している(「日本奥地紀行」、平凡社東洋文庫240、昭和48年10月)。だがしかし、中世の日本においてまず子供が無事に生まれることは大変だった。さらに無事に育つことも。そして場合によってはさらわれて売られてしまう恐れもあった。間引きもあっただろう。 こういう背景があれば、子どもをかわいがり・大事にするのは当然だ。
中世の日本において、後産が無事にすむよう甑(こしき、米を蒸す器)を棟から落として割る風習があった。一方、お産の際に土器(かわらけ)を割る風習もあった。
また、労働力としての価値から子どもが売買されていたこともあるという。それどころか、薬の原料として子どもの臓器をとるために拐かすということもあったようだ。
賽の河原については、子どもを亡くした親が悲しみのあまり子の供養をしないと、その子どもがかえって賽の河原で苦しみを味あうという解釈だったという。また、子どもがいないということは、自分を供養してくれるものがいなくなるということで、中世の人たちにとっては耐え難いことであった。だから、石女は地獄に落ち、その責め苦は灯心で竹の子を掘るというものだったという。
2003年4月記